作家養成コラム

推敲について【作品講評と添削の例】①提出時

2018.03.08

エッセイの書き方

推敲とは、文章をよりよくする為に、何度も練り直すことです。
心斎橋大学の課題作指導でも、講師陣からは、「推敲が足りない」「推敲してリライトしましょう」と指導が入ります。

今回は、講師の指導(講評)を受け、推敲してリライトされた作品の前と後をご紹介します。
まずは、提出時の作品をお読み下さい。

『四十個の目玉』山口有香子

●作品提出時

背中を見られている。
二十匹の金魚にだ。娘のクラスメート宅から譲り受けた。すくってきたものが産卵し、今や五百匹、少し引き取ってもらえないかと頼まれたのだ。さっそく水槽に水草、水をきれいに保つジャリなどを買い求め、無事、リビングの一角におさまった。
五百匹の金魚の母となった友人は、この夏をその世話に明け暮れたという。インターネットを駆使して育て方を勉強したそうで、たいていの質問にはスラスラと答えが返ってくる。自分の手で、卵から孵した稚魚は、可愛くて仕方がないのだとか。里親を探して、引き取ってもらったあとの心中は、わたしにも察せられる。
さて、縁あってうちに来たのは、目高ほどの大きさの、まだ色も薄い金魚である。大切に育てられたせいか、実にお利口さんだ。夜になるとちゃんと寝ているようだし、こちらが近寄るとむこうも寄って来る。朝夕のエサの時間をわかっているのだ。砂粒ほどの目玉でも、四十個となると、結構な圧力となる。目玉がしっぽを振ってわたしに迫ってくる。
去年、十六年を一緒に暮らした猫に死なれた。血統は良いはずなのに、手くせの悪い猫だった。買ってきたばかりの刺身をさらわれたことも、一度や二度ではない。晩年には腰が立たなくなり、下の世話も大変だった。死なれた悲しみはもちろん大きかったが、重しのとれた感覚も、確かにあった。
生きものを飼うことに、重しを感じ始めたのはいつからだろう。
物心ついたときには家に猫がいて、今までの人生のほとんどは、猫と一緒だった。犬がいたこともあるし、金魚はもちろん、カメ、ヤドカリ、ハムスター、文鳥、ヒヨコはニワトリになったし、卵を産ませようとウズラを飼ったこともある。子どもの頃、生き物はただ、ともにあるものだった。犬の散歩はわたしの役目だったけれど、行けないときには、母が代わってくれるとわかっていた。
とするとやはり、一家の主婦となってからか。殊に、自分の手で、自分の子を育て始めてからは一層、そうなった気がする。重し、と書いたのは、なにげなくだけど、これはきっと、本当に重しなのだ。今更はずされても、フワフワ浮き上がって、地に足がつかなくなってしまう。
やっと二学期が始まり、昼間は自分の時間がとれるようになった。しかし、一人であっても、背中に四十個の目玉がある。
猫に死なれたとき、当分猫は飼わないと決めた。でも、当分っていったい、いつまでだろう?

原稿紙換算:3枚