受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 2018年度 フィクション部門 優秀賞受賞

三好真梨子 さん
文章・エッセイコース
32期生(2018年度)
年齢:30代 性別:女性

お鍋の一生

 私は鍋である。ただの鍋ではない。内径二十一センチ×深さ一〇センチ、ステンレスとアルミ合金を何層も重ねた全面多層構造の堅牢なボディを持つ、美しい銀色の鍋だ。

 今、私の体には一人の女性の顔が映っている。細面に黒目がちの瞳をした若い女性だ。

 私は先ほど、彼女に買われた。彼女が私を買うと決断するまでには、三十分以上もの長い逡巡が必要だった。何にせよ、英断である。彼女は顔をほころばせて私の体を撫でたり、矯めつ眇めつして見ては満足そうに吐息する。この女性の為に、私はこれから粉骨砕身尽くそうと思う。

 

 彼女に買われて一ヶ月が過ぎた。認めなくてはいけない。彼女は料理が下手だ。私の全面多層構造を以てしても、彼女が私の体に入れる芋や人参、肉などを美味しく料ることは不可能だ。大抵、入れるのが早すぎるか遅すぎる。もしくは焼きすぎる。今こうしている間にも、牛肉、芋、玉葱が無残に形を変えていっている。明らかにやりすぎだ。もうやめるんだ。火を弱めるか、水を入れろ――!

 

 一年が過ぎた。今日は上出来だ。彼女の努力と私の性能を最大限発揮して出来上がったビーフシチューが、私の中に湛えられている。彼女は取っ手を持って私を運び、食卓の中心に置いた。輝くような目で私を見る彼女の夫と、それを見て得意げになる彼女が私の体に映っている。

 

 最近、彼女の姿を見ない。代わりに私を使っているのは彼女の夫だ。昔の彼女を思わせるぎこちない手つきで、今日はうどんを煮ている。時折私の体に映る彼女は常に顔色が優れず、日増しに腹部が膨らんでいく。

 

 数年が過ぎた。彼女は背中に赤ん坊をおぶって猛烈なスピードでキャベツを刻んでいる。キッチンには定期的によちよち歩きの長女がやって来て、その度に彼女の作業は中断させられる。まるで戦場のような慌ただしさだ。

 夜も更けた頃、彼女はクレンザーとスポンジを使って私をすみずみまで磨く。真剣なまなざしで、決して手抜きをせず、とても丁寧に。すべてが終わった後、彼女は自分の仕事を指でなぞって確かめ、満足そうに「よし」と微笑む。彼女が笑うと、私はとても満ち足りた気持ちになる。静かな夜の、私達だけの時間。

 

 それから何年も過ぎた。彼女と私は、いくつもの料理を作った。

 ポトフ。寒い冬のおでん。豚の角煮。もてなしの牛すね赤ワイン煮込み。いつもの肉じゃが。大喧嘩した翌日のシチュー。ブリ大根。私の体に映る子ども達の手足や背丈がぐんぐん伸びていく。

 作り置きのラタトゥイユ。鶏の手羽先煮。試験前の煮込みハンバーグ。豚汁。結婚記念日のビーフシチュー。鰯の梅煮。長男が家を出る前夜のカレー。長い、長い時が過ぎていく。

 

 今、この家はとても静かだ。ほんのついこの間まで、キッチンには子ども達の声と足音が響いていた気がするのに。

 彼女はもうほとんど私を使わない。ステンレスとアルミ合金を何層も重ねた私の体は、彼女の手にはもう重すぎるからだ。近頃の私は棚に仕舞われていて、その日彼女に取り出されたのはとても珍しいことだった。

 私の体に映る彼女の姿は、初めてその身を映した頃とはずいぶん変わっていたが、私を見る黒目がちの優しげな眼差しは何も変わらない。何百、何千回となく私に触れた彼女の手がゆっくりと私を撫で、彼女は目を細めしみじみと呟いた。

「いいお鍋ねぇ」

 買われたばかりの頃、彼女は何度も失敗した。二度と取れないかと思うほど鍋肌を焦がされたこともある。初めて料理が美味しく出来た時、彼女は声を上げて笑った。いくつもの夜、私達は料理を作り、家族を笑顔で満たしてきた。

 

 今私は、棚の暗闇の中で静かに微睡んでいる。

 彼女の生涯の鍋でいられたことを、私は心から誇りに思う。

 

【作品集「炎心」コンクール 2018年度受賞作 講評を読む】

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