受講生の作品
受講生の作品
働き始めた二十代半ばの、電車に乗る機会が多かった頃のこと。うとうとして隣の人の肩に頭を凭れさせて眠ってしまうことがあった。人員削減の一環か二年目からは仕事量が二倍になり、かなり遅い時刻まで職場で事務作業に追われた。電車に乗るのは、たまの休みの日に気分転換や楽しみのために友人たちに会いに他府県に行く時だったと思う。電車の中で、仕事や遊びの疲れで眠ってしまう。
電車でたまたま隣に座った人と肩を貸し借りすることはよくあった。もちろん、貸してください、どうぞどうぞ、という会話はない。気がつくと眠って隣の人の肩に自分の頭が乗っている。貸す時もある。借りる時は、ただで借りているにも関わらず、気に入った肩というものがあった。ふっくらしていて、私の首の位置に合っている座高の高さの人の肩。骨ばっていると痛いし、高すぎると私の首が届かないし。時々、相手の人がご自身の肩を揺すって私を起こそうとする時があった。はっきりと「起きてください。凭れないでください」と言う人もいた。私は、えっ私だいぶ大勢の人に肩を貸してきて今貸し借りで言うと貸しが三つある状態であと三回は誰かから借りてもいいはずやで、などと勝手に思っていた。
ある時、私の右隣の背広姿の五十歳くらいの男性がうとうとし始めて、私の肩に頭を乗せてきた。私は快く肩を貸した。そのうちに電車が大きく揺れたか何かの時に、その人の上半身が私の胸の前に滑ってきた。咄嗟に私は、膝の上に置いてあった自分の鞄を持ち上げた。買ったばかりの気に入っている鞄によだれを垂らされたら嫌だと思ったのだろう。その人は重力に勝てず私の膝の上に寝ころぶ形になった。ずいぶん体の柔らかい人だと思った。
私は、鞄をどうすればいいかわからなかった。今更その人の頭の上に載せるわけにもいかない。仕方なく空中で両手で鞄を掲げ持っていた。向かいの席の四十代くらいの女性が私を見て笑った。私が口を大きく動かしながら小声で「どうしよう」と言うと、向かいの席の三十代くらいの女性も笑い始め、知り合い同士でもなさそうな隣同士のその二人がそのうちに一緒におなかを抱えて笑い始めた。
突然、膝の上の男の人が目を覚ましたようだった。「えっ」と声を出し、しばらくして、「えっ、えーっ」と更に大きな声を出して、身を起こした。束の間、四人とも黙っていた。
少し経ってから、その男の人が私に、おそるおそるという感じで、「もしかして、今、膝枕になってました?」と聞いてきた。
「ええ、まあ」と私は答えた。
「すいません」とその人は言った。若い女性の膝に乗ってしまったことで大いにうろたえた様子だった。それほどうろたえる人は痴漢ではない。私は、「ずいぶんお疲れのようですね」と言った。
「本当にすいませんでした」とその人が言い、いえいえ、と私が言い、向かいの二人の女性が、よかったね、というような微笑みを私に向けた。
私は、父のことを思い浮かべていた。私がまだ未成年で実家で暮らしていた頃、仕事で毎日帰りが遅くなって、疲れが蓄積していって、見るからに痩せて、私も母も妹も心配していた。ある日、父が夕食の場で、「今度、会社に二つのコースができたん。一つは、転勤も残業も厭わず働いて出世が目指せるコース。もう一つは、出世はできないけど残業もなく帰れるコース。それでね、どちらかを選べと言われ……」
私も母も妹も息を呑んだ。父が「後者を選んだ」と言った時、一様にほっとした様子だった。言葉も無しにこれまでの人生で最も感情を共有できた瞬間だった。
見知らぬ人に肩を貸す時、私は、父に貸すような気持ちでいた。父のように疲れないでいてくれる人がいたら。この人の健康も守られてほしい。私がささやかにその役に立てたら。世の中全体が巡り巡って貸し借り。
不意の膝枕が終わり、電車は進み、私は気に入っている鞄をまた膝の上に置いて座っていた。そのうちにまた右隣のその男の人がうつらうつらし始めた。そして、また上半身が私の胸の前に滑ってきて、私は鞄を空中に持ち上げ、その人の頭が更に下がり、私の膝上十数センチのところで止まり、その後ひたすらその辺りで上下にゆらゆらと揺れ続ける。余計にしんどそうな体勢だなと私は思いながら見ていた。
きっと、疲れすぎていてやはり眠ってしまい体は滑ってしまうのだけれど、左隣の若い女性の膝枕になってはならない、という概念が頭の中にあって、すんでのところで体がとどまるのだろう。私は、その時、人間の無意識層に思いを馳せた。
その男の人と私のどちらが先に電車を降りたのか、今はもう覚えていない。