受講生の作品
受講生の作品
「おふくろが倒れた。俺、病院に行くけど、お前どうする?」
夫よりこの電話を受けてから、私の人生は大きく変わった。
豊中の自宅で庭の水やりの最中に倒れた義母は、近所の人の手配で病院に運ばれ、ひとまず入院した。軽い熱中症だった。
義母は九十一才。持病もなく買い物や料理も行い、一人暮らしを満喫していた。
救急車を手配下さった近所へ挨拶に伺うと、
「高齢者の一人暮らしは、今回のような事や火の始末なども心配です。同居か介護を考えられたらどうですか」
と率直な意見を私達夫婦にぶつけてきた。
「おふくろは、いつまでも元気だと思い込んでいた。世間的には心配な高齢者なんだな」
夫は小さな声で呟き、力なくうなだれた。
「おふくろを、一人で置いとくのはもう無理だと思う。一度皆で相談しよう」
夫の声掛けに、四人の姉弟は急遽集まった。
それぞれの事情など話していくうち、施設へ入ってもらおうという流れになった。
今この介護をしなければ、きっと後悔が残る。まだ何もしていなじゃないか。その思いが私の心に徐々に高まり、膝に置いた手にぐっと力が入った。そして言葉がついて出た。
「家にいたい、というお義母さんの希望を叶えて、皆で協力して在宅介護しませんか」
夫の姉弟の一人一人の顏を見て、私は説得した。そして翌月には私は仕事を辞めた。
結局、遠方組からと私の三人で、ひと月に十日ずつ寝泊まりすることに決まった。
「市場へ買い物にいきます。欲しい物はありませんか?」
私に聞かれた義母は、読んでいた新聞をわきへやり、メガネを外しながら言った。
「大根の葉っぱを貰ってきて。ジャコ炒めにして食べたいし」
「じゃ、葉っぱ付き大根を買いましょうか?」
「だめ、だめ、葉っぱだけ貰ってきて。八百屋の隅に捨ててあるからね」
私は葉っぱだけ下さいと言えず、結局葉っぱ付きの大根を一本買った。隠れるように帰宅したが義母にしっかり見つかってしまった。
「仕方ない子だね。明日、人参と蒟蒻と豚肉を買ってきて。大根の味噌煮を作るから」
野菜や豚肉を大きく切り甘辛味噌で味付けした味噌煮は、初めて食べる味で絶品だった。
明治生まれの義母は質素で倹約家だ。残ったおかずは決して捨てず、何日も冷蔵庫で保管。賞味期限切れの食品は、煮炊きしたら大丈夫だと言い切る。いつか小鍋に黒いどろっとしたものが入っていたので何かと聞くと、
「二日前の巻きずしが残っていたから炊いた」
と平気そうに食べるのには、本当に驚いた。
肉が苦手でこっそり肉外しをしていた私に、
「隠しても分かっているよ。そんなに食べ物を残していたら、うちの子にはなれないよ。うちは、お代わりするし何でも食べるからね」
とメガネの奥から睨み、私を震え上らせた。
食の細い私は、好きな物を好きなだけ食べ、気楽に育ってきた。食べ物を食卓に出すと五人姉弟の激しい争奪戦だった、と夫から聞いていたが、年の離れた姉が一人の私には理解しがたく、義母の言葉に傷ついたりした。
元気を失っていく私の様子を感じたのか、
「豚肉抜きの焼きそばを作ったよ、ハムはいけるって聞いたから、ハム入りにしたよ」
と、私を気遣ってくれることもあり、そんな時は優しさに胸がいっぱいになった。
「お母さんに胃がんが見つかりました。驚くほどの体力がありますから手術できますよ」
主治医の勧めで手術を受けた義母は、胃を全摘した。
「流動食も美味しいよ。お代わりしたいわ」
と順調に回復し、予定より早く退院した。
散歩に出かけるほどに日常が戻った義母は、公園のベンチに腰掛けながら私に言った。
「皆に声をかけて、仕事も辞めて私の介護をしてくれたこと感謝してるよ。ありがとうね」
流れた涙が恥ずかしいのか、義母はお日さまに手を翳しながら言った。
私は横に座り義母の背中をそっと撫でた。
義母の息遣いを感じながら、介護生活が始まった頃を思い出し、小さく笑った。
幸福感が満ちてきた。
穏やかな日々が二年余り続き、段々と義母は弱っていった。そして九十五才の秋、皆に見守られながら静かに天に召された。
葉っぱ付き大根を見かけると、つい買ってしまう。味噌煮を作り葉っぱはジャコ炒めに。
「葉っぱは貰うもんだよ、仕方のない子だね」
義母の声が聞こえるようだ。