受講生の作品
受講生の作品
二〇一七年九月、産科病棟で看護師長として虐待対応していた私は、Aさんの採尿を行った。
病院には、虐待委員会があり、胎児虐待疑いのある妊婦は、分娩前に対応を決める。胎児虐待とは、未受診や妊娠中の薬物使用など胎児に対する虐待を行うことだ。Aさんは覚醒剤使用歴があり、今回の妊娠中もその疑いがあった。
薬物使用疑いのある人の新生児は、出生後に必ず尿検査をしていた。それは親の同意が不要だ。Aさんの赤ちゃんは、陽性となり、母親の薬物使用が確定した。
病院は警察にそれを通告した。
警察は状況を把握し、本人の同意を得て、母親自身の尿検査を行うのが通例である。
しかし、彼女は帝王切開術後であり、尿管が挿入されており、早く採尿しないと覚醒剤成分が流れ出ると、委員会で判断された。
警察に頼まれ、委員会の決定事項で、私は管からおしっこを採った。断れなかった。本人に説明せず、同意も得ず、令状もなかった。
会議の決定事項に、私は違和感があった。誰が尿を採るかの話し合いで、ケースワーカーは「師長さん以外、誰が採るんですか? スタッフにさせると供述調書に名前がのりますよ」と叫んだ。「私がするんですか」と言うと、医師は「看護師の仕事だ」と言い捨てた。看護スタッフが「私がとります」と言ったが、彼女にさせることができなかった。
Aさんは、身に覚えのない尿検査で薬物反応陽性となり逮捕された。私は検察側の証人として裁判所に出廷をした。
検事に、内緒で採尿したことの謝罪を、法廷でさせてほしいと何度もお願いした。しかし、本件と関係ないので無理だと言われた。
検察は、立件だけが目的なのだ。
妊産婦に寄り添い看護をしてきたのに、どうして断らなかったのか。委員会の決定事項でも、警察に頼まれたからという理由でも、自分で自分を責め続けた。
そのうち病院は、この問題は個人の問題だと言い、裁判所からの書類は私個人宛てになった。看護部長に報告しても、事務局が決めたことであると取り合ってもらえなかった。
Aさんが、最高裁判所に上告したと書類が届いた。私の心は壊れてしまった。
それに気づいた同僚が、個人の問題であるのはおかしいと看護部長に報告し、やっと病院がことの重大さに気づいた時、私は適応障害で一ヶ月休職した。
復帰後、同僚から「私も警察に言われたら断れない」と言われた。同じことが起らないように、根本原因を解決してほしいと看護部長や、事務局長に依頼した。
虐待委員会のあり方に問題があった。そこでは一人の小児科医が圧倒的な権力を持つ。その女医は、いつも悪い母親を捕まえようとしていた。だから冤罪のようなことも起きていた。
医療従事者は警察ではない。虐待対応は採尿のマニュアルもなく、その医師の権限で、ほぼ全てのことが決まっていた。そしてケースワーカーもそれに追従する。誰も委員会の決定事項に反対できないのだ。
事務局長は、「女医とケースワーカーに問題があるのはわかっている」と言ってくれた。二人は、マニュアル作成に反対する。女医は、知人に大阪府警の刑事がいる。そこからの情報を委員会の中で発言し、自分の意見を正当化していた。
「採尿したことは刑事事件では問題ないが、民事事件では人権侵害で訴えられると、あなたは被告人になる」と、私は事務局長に言われた。心も体も、疲れ果てていた。しばらくすると、病院はそんなことは気にしないようにと言ってきた。
虐待委員会にも、小児科医にも、誰も何も言えないのだ。だから、見てきたこと、やったことを忘れて、心に蓋をしろと言うのだ。
Aさんは人権を侵害された。私は謝罪したかった。病院も謝罪する必要がある。そして今後、医療従事者が嫌だと思うことをさせられない病院になることを願って、改善してほしいと言い続けた。
しかし病院の中で、「これまでのことはおかしい」と、声を上げる私だけが、反対におかしな人になっていった。
同僚師長から「電車に飛び込んだりしたらあかんで」と言われた頃、再び適応障害で休職することになった。
長時間労働やパワハラだけが、心を病む原因ではない。自分の信念、人としての誇りを傷つけられ、失った時、心が壊れるのだ。
医療従事者が守るのは病院組織ではない。本当に守らないといけないのは、患者や妊産婦だ。
そしてもう一つ、嫌なことを嫌だと言い、自分の信念や誇りを守ること。それこそが医療従事者が自分を大切にする生き方になる。