受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 20023年度 フィクション部門 奨励作品賞受賞

髙橋 英樹
大学院
34期生(2020年度)
性別:男性

かけ橋にて候

 わしは破滅じゃ――。
 慶長十二年五月六日、対馬藩主の宗義智(よしとし)は、江戸城大広間の下段に接する遠縁で呻吟した。
 これから朝鮮国王の使者が将軍秀忠に国書を奉呈する一大儀式が始まる。義智は、日朝間の折衝役として、朝鮮の役で長らく途絶えていた日朝国交の再開に成功したのだ。
 が、遥か十間向こう、大広間中段の机上に置かれたあの国書の中身が明らかになるや、義智の切腹、宗家の断絶は必至である。義智は都合の悪い箇所を改変した偽造国書を袖中に隠し持ってきていたが、すり替えはついに叶わなかったのであった。
 人のおらぬ早い間に来てすり替える算段であったが、控えの間で老中筆頭の酒井忠世の長話に捉まり機を逸してしまった。酒井は日朝間を数百年間も取り持ってきた宋家の労苦を大いに労ってくれたのではあったが。
「間もなく上様の御成りでござりまする」
 茶坊主の声で、大広間内の歴々、それに朝鮮使節たちが居住まいを正した。
 義智は観念し目を閉じた。
 あれしか方法はなかったのだ。後悔はせぬ。

 昨年の夏、義智は焦燥していた。数年前、徳川の世になってすぐのこと、朝鮮からの国書によって徳川の権威を高めたい家康が朝鮮との折衝を義智に命じた。が、義智の必死の努力にも関わらず国書は実現しなかった。
 当然である。先に国書を送るということは頭を下げ修好を求めることに他ならぬ。
 朝鮮の役で国土を蹂躙された朝鮮からすれば日本は憎悪の対象以外の何物でもなく、自分から先に頭を下げるなどありえぬのだ。
 他方、江戸からの督促は厳しくなるばかり。
 板挟みに苦悶した義智は賭けに出た。朝鮮攻めを詫び頭を下げる内容の家康名の日本国書を偽造し、朝鮮に送ったのである。
 その結果、朝鮮使節団が国書を携えやって来た。賭けは成功したかに見えた。だがその国書には、家康からの国書に対する「奉復」つまり返信と書いてあった。これでは偽造が露見してしまうではないか。
 そこで義智は「奉復」を「奉書」と書き換えた朝鮮国書を偽造し、すり替えの機会を狙ってきた。しかし朝鮮側の警備が厳重で手が出せぬまま、事ここに至ったのであった。

 この期に及んでは国書偽造の罪で死ぬ他ない。だが宗家が滅びれば民はどうなるか。
 山が海に迫り平地が殆どない対馬。農作物がほぼ取れず、宗家と民は朝鮮貿易の稼ぎを分かち合うようにして生き延びてきた。
 対馬の事情を解さぬ新領主が来れば、たちまち対馬の民たちは困窮に喘ぐことになろう。
 逡巡の末、義智は決意した。どうせ死ぬなら、再び賭けに出てみよう、と。
 策はない。ないが、とにかく駆けるのだ。駆ければ活路が開けるやもしれぬ。
 そう開き直った義智は立ち上がり、四百畳の大広間を国書目指して駆け始めた。
「対州殿、何の真似じゃ!」「対州殿、ご乱心!」――怒号が飛び交うなか義智は駆け、国書に辿り着き、覆いかぶさった。何か言うのだ、何でも良い。まずは自分を取り抑えようと迫り来る者たちを止めねばならぬ。
「近寄ってはならぬ! 破裂するぞ!」
 義智の大声に人々はたじろいだ。
 破裂だと!? 次は何を言う!? 破裂するとすれば、そう、火薬だ! 義智は叫んだ。
「国書に火薬が仕込まれているやもしれぬ!」
 大騒ぎが始まり、その隙に、義智は真正な朝鮮国書をそっと袖中に入れ、代わりに偽造国書を机上に置いた。
 その時、一人の人物が義智の手首を掴んだ。
 酒井忠世であった。
 万事休す――。
 義智がそう観念すると酒井が囁いた。
「存念を申されよ」
 酒井殿は老中筆頭。腹は座っているやもしれぬ。そう思った義智は一縷の望みを抱き袖中から真正な朝鮮国書を出し、「奉復」の文字をそっと酒井に見せ、説いた。
「上様にも朝鮮国王にも、互いに相手が先に頭を下げたと思うて頂きまする。両国円満の道はこれしかござりませぬ!」
 酒井は義智の目を暫し見つめた後、頷き、立ち上がって偽造の朝鮮国書を掲げ宣言した。
「各々方に申し上げる。拙者、この目で国書に異常なきを確かめ申した。安心召されい」
 義智も立って声を張り上げた。
「拙者、先般、国書に火薬が仕込まれたとの噂を耳にし、戯れ言と打ち捨てておりましたが、上様御成りを前に万々が一が心配になり申した次第。お騒がせし、申し訳ござらぬ」
 酒井が目で苦笑いし、義智に囁いた。
「げに対州殿はしぶとき日朝の架け橋よ」
 義智は駆ける仕草をして囁き返した。
「危なき賭け橋、お蔭様にて駆け走りきり候」 
 義智は酒井ににやりと笑みかけた。

【選 評】

  • 歴史の狭間にこういう重大事実があったかも知れぬ、と思わせる作者の達者な筆力を買いたい。
  • 稗史(はいし)風に巧く書けた歴史小説である。対馬藩十万石宗家は、江戸時代を通じて対朝鮮国専門の外交役を一手に担っていた、世にも稀な大名家である。厳原の本城や江戸屋敷とは別に、朝鮮の釜山には大使館とも呼べる屋敷や、本城が離島にある為、福岡にも立派な屋敷を持っていた。後の世に「経費が掛かり過ぎる」と幕府を悩ませた、朝鮮信使にまつわる興味深い作品で、これだけ書ければプロとして通用する腕前である。
  • 主人公対馬藩主の心情が見事に描かれ、酒井とのやりとりもよく考えられたと感心しました。抜群に良かったです。
  • 四百畳の大広間を突然主人公が駆け出すという創意が痛快、その後息も継がせず畳み掛ける展開が見事でした。背景となる説明部分も無駄のない筆致でコンパクトにまとめられ、これ以上足すことも削ることもできないレベルにまで推敲されたのではないかと感じられます。ユニークな題材を筆の力で鮮やかな人間ドラマに仕立てた技量に感服しました。ラスト、主人公がどのようににやりと笑うのか。それを想像するのが愉しい作品です。
作品種類
心斎橋大学ラジオシアター放送作
作品集「炎心」コンクール受賞作
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
脚本(ラジオ)
ノンフィクション
小説
エッセイ
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