受講生の作品
受講生の作品
今年還暦を迎える岸田義男の仕事は、東京高等裁判所の裁判官である。彼の父、昭彦が亡くなって一年が過ぎた。二十代から趣味で始めた父の写真の腕前は、プロ写真家に指導を受け二科会の会員になるまで上達した。「写真は真実を語る」が父の口癖であった。昨年末、実家のある広島県福山市に帰省した時、「都会の雑踏」という父の写真が彼の目に留まった。東京の銀座、渋谷、新宿を写した三枚組の作品である。特に新宿は映画館を出た人々を中心に据え、夕刻に躍動する多様な若者の姿を撮っていた。
写真のフォーカスの中心に、彼が死刑判決を下した「木下健吾」らしき人物が写っている。父は「二〇一〇年十二月二十四日」撮影と写真の裏に記載していた。しかも、写真の背景となった映画館のビルの入り口にある大型のデジタル時計は、一七時十五分を指している。
「これが事実なら、死刑囚木下のアリバイが成立するではないか」
今から九年前の二〇一〇年一二月二十四日、世田谷区成城で三十代の夫婦とその両親の一家四人が惨殺された事件が起こった。犯人が被害者と争った際に現場に残された髪の毛のDNA鑑定から、強盗傷害の前科のある都築幸助が逮捕された。また都築は、木下が共犯者であると自供し、木下の自宅から被害者の血痕のついた黒色のパーカーが発見され、警察に身柄を拘束された。都築は犯行を自供したが、木下は一貫して犯行を否認した。
木下はその日の犯行時刻にスティーヴン・セガール主演の「沈黙の復讐」を新宿にある東宝の映画館で見ていたと主張した。
判決を下す際、木下の一貫した無罪の主張に、少し引っ掛かりがあったことは間違いない。すでに死刑判決は七年前に確定し、明日にも死刑が執行される可能性があった。
裁判官が誤審により無罪の人間を殺すことになる。一家四人を惨殺した二人の凶悪犯というマスコミ報道を当時気にしなかったと言えば嘘になる。「無罪の人を誤って死刑執行をした例は日本ではゼロ件」というのが法務省の公式見解である。もし、死刑が執行されると日本の司法の歴史で、「誤審による初めての死刑執行の事例」を自分が作ってしまう。その日から彼は一睡もできなくなった。
正月の休み明けに、先輩の最高裁判所の吉田判事から呼ばれた。
「ここだけの話だが、君を最高裁判所の判事に推薦したいと思っている。君が手掛けた社会的に影響の大きな数々の刑事裁判での公正な判決が評価された結果だ。当然受けてくれるよな」
「本当ですか。先輩のご指導のお陰です。本当にありがとうございます」
もし死刑判決を覆す写真を出せば、裁判所の権威は失墜し、検察と警察を敵に回す。彼の心の中で権力欲と良心が激しく葛藤した。
彼は父の写真をすべて作品集としてホームページで公開し、木下死刑囚の冤罪支援のグループに匿名でアリバイ写真のリンクアドレスを葉書で知らせた。また死刑執行を遅らせるため法務大臣宛てと硬派の雑誌である週刊潮流と週刊論壇に「死刑囚のアリバイ写真」とコメントを付け匿名で送付した。
先輩の吉田から呼ばれた。
「木下死刑囚のアリバイ写真が雑誌に掲載されているが、
本当に判決は大丈夫なのか。しかも、死刑判決を下した裁判官の父親が撮影した写真だと記事に書いてあるぞ」
「写真は父の作品として母が公開したなかの一枚です。事実ならアリバイが成立します」
「これは、死刑制度廃止につながる大問題に発展するぞ」
彼は木下の冤罪弁護団のリーダーである吉村弁護士に
「主犯の都築の証言は再確認が必要である」と書いた匿名の手紙を出した。
「今だから言うけど木下は共犯者ではない。あいつの家に被害者の血痕のついた黒のパーカーを置いたのは俺だよ。木下はその前の強盗傷害事件の時、俺のことを警察に話したので、その仕返しをしただけだよ」
都築は、吉村弁護士に拘置所で真実を語った。再審での無罪が確定的となり、木下が釈放された日、岸田は裁判所に辞表を出した。
「岸田も最高裁判事のポストを棒に振るなんて馬鹿な奴だ。無罪の人間を死刑にしたケースは日本でも少なくとも数件存在する。人間のやることだから間違いは絶対にある。ただ殺人事件の容疑者になるようなやつは必ず犯罪をおかす。社会から抹殺すべきなのだ」
先輩の吉田最高裁判事がつぶやいた。
無罪が確定した木下が一年後、今度は窃盗の現行犯で逮捕された。
「お前、冤罪事件でせっかく無罪になったのに、何故また、犯罪をおかすのだ」
「刑事さんには理解できないはずです。捕まるかもしれないと、犯行しているときのスリルに一番生きがいを感じるからですよ」