受講生の作品
受講生の作品
シーツが夏の陽光を反射し、はためいている。真白のそれは、身をよじって羽ばたこうとしている蝶のようにも見える。その隣ではまゆらが、白いロングスカートに足をもつれさせながら衣類を干していた。汗で太ももに張り付いているのだろうか。人妻になっても家事に向かない服を着続けるんだから。母の意地悪な声が耳に蘇る。
いつも僕から何もかもを奪っていく兄が最後に奪ったのは、まゆらだった。僕の最愛にして、不可侵の聖域。家督も、財産も、親族からのより深い愛や期待や信頼もとうに諦めていた僕が最後に夢見たのがまゆらだった。この村において、唯一都会的で……といっても僕が知る都会は中学の修学旅行で行った東京だけだが……最も神聖な、女性だった。年の差はみっつ、中学も高校も、新入生になる僕に追われるように卒業していったまゆら。その様は僕が追い出したというよりは、誘惑に吸い寄せられた僕をあざ笑って逃げる悪魔のようであった。無垢なまゆらにそんなつもりはさらさらないのは承知していたが。
ネットの上に広げられた桜色の下着は、まゆらが選んだ物なのか、それとも兄の趣味なのだろうか。毎夜隣室から漏れる声を聞いている身としては、莫迦な推理を止めることもできない。せめて兄とまゆらの結婚が、僕が高校を卒業して都会で独り立ちしてからだったら良かったのに。そしたら記憶の中のまゆらはずっと綺麗なままだった。だけど兄は昨年街の大学から帰るなり、あっという間にまゆらを手に入れてしまった。
ふいに強い風が吹き、まゆらのスカートを翻した。その拍子に僕はスカートに小さなシミを発見する。
「まゆら」
二階の出窓から中庭に向かって身を乗り出すと、振り返ったまゆらと目が合った。人形を弄ぶ幼女のように無垢な瞳が、眩しそうに眇められている。眩しいのはこっちだ。人妻になっても僕を誘惑してやまないんだから。母の小言をなぞった形で不満が浮かんだが、気づかないふりをして僕は年齢よりも子供っぽく叫んだ。
「スカート、汚れてる」
「え?」
「だからスカート」
まゆらは自らの尻尾でじゃれる猫のように一回りし、スカートの汚れを捕まえた。ワンテンポ遅れた髪が背中を追う。まゆらが僕をもう一度見上げ、睨んだ。なぜだか頬が染まっていたから、僕の身体は簡単に熱くなる。それからまゆらは洗濯物を放り出して屋内に駆け込んでいった。厠の扉の鍵の音が聞こえてようやく、僕は汚れの正体を知った。女性の身体には月の満ち欠けがある。その晩、まゆらの声が聞こえることはなかった。
静寂は時に人を覚醒させる。僕は季節よりも火照った身体を持て余して、寝返りを打つ。今夜は兄もきっと、僕と同じ欲望に苦しんでいるに違いない。まゆらの寝息を耳元に感じながら堪えるのは、もしかすると僕より辛いかもしれない。それとも熟睡しているのだろうか。もうまゆらの全てを手に入れた兄は、僕のように切なさに擦り切れそうになることもないのだろうか。
布団から跳ね起き、立ち上がった。ひどく腹立たしかった。隣室への襖は閉ざされている。その古ぼけた、金粉で飾られた古めかしい襖、一押しで破れそうなその襖を開けることは、僕にはできない。代わりに向かったのは厠だった。そして、隅に転がっている三角形のゴミ箱を、今日はじめて見つけたような気分で見つめた。桃色の箱。まゆらの下着よりも暗く、沈み込むように空間に馴染んでいるから、まゆらが嫁いできたと同時に置かれたことなんかも忘れてしまっていた。
取っ手をつまみ、持ち上げる。生魚の腐ったような匂いがして興奮した。中にはトイレットペーパーでくるまれた何か。僕はそれを、ラッピングをほどくように丁寧に剥いていく。何重か内側から、紙は濁った赤に染まり始める。昼のスカートのように。ああ、まゆら。僕は指先が震えるのを止められなかった。たまりかねてトイレットペーパーを乱暴に解き、中のものを取り出す。中身は案の定、赤くただれていた。
まゆら。予想に反して鉄の匂いはしない。どちらかというと、近所の赤ん坊のおむつの匂いに似ていた。給食室の換気扇から流れてくる空気のように湿っている。ふいに、飢えに駆られてナプキンに顔をうずめた。頬が冷たく濡れる。舌先でつつくと、ようやく血の味がした。これが僕が触れられる、唯一のまゆらの女の部分なのだ。兄に征服されたはずの子宮から流れた経血。排泄された、子供のなりそこない。僕は初めて勝利を覚えた。そして僕が僕の聖域を、自分の手で汚してしまったことを知った。僕にはもう何も美しいものが残されていない。それがひどく、幸福だった。