受講生の作品
受講生の作品
網戸の外から聞こえる蝉の声に混じって不思議な音がする。畳の上に寝転んだまま薄目を開けると、台所の流しの前に立つランニングシャツとステテコ姿の父の後ろ姿がおぼろげに見えた。その横では母が台所の土間に座り、規則正しく動く父の手元をぼんやりと眺めている。
「シャッ、シャーッ」不思議な音がピタリと止むと、父が自分の目の前にかざした右手には、刺身包丁が握られていた。流しの前の小さな窓から昼下がりの陽が差し込み、ぎらりと包丁に反射する。その眩しさと昼寝の気だるさに負けて、もう一度目を閉じようとした瞬間、玄関のドアがバンと開いて一人の男が怒鳴り込んできた。
「高橋っさん、今月こそツケを払てもら……」
その大声は、包丁を握る父を見た途端、テレビのボリュームを絞ったように変わった。引きつった顔には愛想笑いが浮かんでいる。
「いや、支払いな、よろしゅうたのんまっせ」
そう言いながら逃げるように帰って行った。
「なんや、あの酒屋のおっさん、俺に刺されるとでも思たんか」
「きっとそうですやろ。お父ちゃん、ええ時に包丁研いではったわ」
父と母は顔を見合わせて笑っていた。涙が出るほど可笑しかったのだろうか。母は泣きながら笑っていた。
「ほんならうちは貧乏になったん?」
食料品を扱う父の会社が倒産したこと、負債を返すために家を売って引っ越すことを聞かされたのは、その数日後だった。
「そうや。けど、涼子は何も心配せんでええ」
そう言いながら父は笑った。私は小学校3年生、弟の涼平はまだ3歳。お盆の暑い日のことだった。そしてその秋、私たち一家は住み慣れた京都を離れ、大阪に移った。
知人の紹介で小さな会社に職を得た父は、「財産はないけど、借金もない」口癖のように言いながら定年を過ぎても嘱託で働き続けた。私に次いで弟もようやく大学を卒業し、これからやっと暮らしも楽になるという時に、心筋梗塞であっけなく逝った。70歳になったばかりの夏だった。
「誰にも世話かけんと死にはった。お父ちゃんらしいわ」
父が亡くなってもう25年目になるが、墓参りのたびに母はそうつぶやく。
「あとどれだけ一緒にここに来られるだろう」そう思いながら見渡す京都の墓地には、蝉の声がシャワーのように降っている。ふとあの日のことを思い出して、私は聞いた。
「なあ、京都の家にお酒屋さんが催促に来はった日、お父ちゃんは何で包丁研いでたん?」
「涼子はしょうもないことだけは覚えてるな」
母は苦笑いしながら話しはじめた。
「お父ちゃん、何でか昔から包丁研ぐと気持ちが落ち着く言うて。嫌なことがあると包丁研ぎはったんや。それも夜中に。そやからあんたも涼平も見たことなかったやろ」
そう言えば、家の包丁はいつも危ないくらいよく切れた。思い出す私の横で母は続ける。
「一生言うつもりはなかったんやけど。実はな、お父ちゃんの会社は潰れたんやない。騙されはってん。あんな親分肌やろ、頼まれて借金の保証人になってしもて。」
そしてもうひとつ意外なことを言ったのだ。
「あんたと涼平抱えて、何もかも無くして。いっそ一家心中した方が楽や、そう言うてしもた。そしたら急に包丁研ぎ始めはったんや」
土間で父の手元を見ていた母の姿が蘇る。
「ピカピカになっていく包丁見ながら、これならよう切れる。苦しないって思ってたわ」
「そんな時に、あの酒屋のおっちゃんは来てしもたんや」
「そうそう、こっちが死ぬか生きるかの時に自分が刺されるみたいに慌ててはった。もう可笑しいて可笑しいて。なんやあの瞬間、アホな考えがパァ〜っと飛んでしもた。あれ以来、お互いその話しは一切せんかった。今から思えば、あの包丁が、辛いことを全部切り落としてくれた気がするわ」
「あのお酒屋さんにも感謝せなあかんな」
「そやからツケもお父ちゃんと一緒に払いに行ったよ。深々と頭下げて、お陰で命拾いしましたって。あんまり大袈裟に言うもんやから、狐につままれたような顔してはった。それがまた面白うて、二人で吹き出したわ」
話し終えると母は父の墓に向かって、余計なことを喋ってしまったとつぶやいた。「切り落とされたこと」それは、二人の間で長い時間をかけ、静かに風化していったのだろう。
墓地はもう夕暮れの光に包まれている。
「シャッ、シャッ、シャッ」
静かになった蝉の声にかわって、あの夏の日の音が記憶
のどこかで響いていた。