受講生の作品
受講生の作品
ピアニストという仕事柄、爪を長く伸ばしたことが一度もない。もし1ミリでも伸びると「わあ、伸びてる!」と心地悪くなり「切らなくちゃ」と思ってしまう。
とにかく伸びると爪の息が止まったように感じるし、実際爪を切ると詰まっていたものがスーッと流れるようで、ほっとする。髪を切るとさっぱりする感覚と同じだ。
音大生の頃、真っ赤なマニキュアの長い爪に憧れていた。真っ赤な爪は大人の女性の代名詞のような気がして「せめても」と1ミリも伸びていない爪をパール色に塗ったものだ。
毎週ピアノのレッスンがあった。確か月曜日だったように記憶する。レッスンの直前マニキュアを落とし、レッスンが終わると直ちに塗る。なんだか儀式のようだった。それは先輩も同じだった。レッスンが前後していたので、世界一恐ろしい、いや厳しいレッスンの報告や時には先生の物まねなどをしながらマニキュアを落とし塗りの週の始めだった。
多分除光液を忘れると大変なことになっていたと思う。ピアニストが爪を伸ばしたりマニキュアを塗ったりするなど許されることではなかったからだ。落とし忘れると、きっとレッスンを休んでいたと思う。ただでさえピーンとした空気が走るレッスンで、もしマニキュアの指を発見されでもすると「塗る暇があったら練習しなさい」と言われレッスンどころではなかったと思う。それどころか破門されたかもしれない。もっとも私と先輩以外の学生がマニキュアを塗っているのを見たことがないから、あくまでも想像でしかないが。
爪を切るのは、伸びていると弾きにくいことはもちろんだが、鍵盤に爪が当たりカチカチ言うし、音色を作るのに、指先や指の腹で微妙に力調節するため、伸びているとそれが出来ないという演奏法上のことがあるからだ。
それにピアノを弾く時は腕時計もアクセサリーもマニキュアも何もつけない状態でピアノに向かう。それは腕に重さを持たせないとか、聴衆の気が散るとか、単に何もない状態の方がすっきり見えるとか、どちらかというとこちらの方は心情的な問題だろう。
「演奏する時腕時計をはずす」ということは入学したての生徒達に舞台マナーと共に最初に教えることの一つだ。
さて、そうはいうものの音楽高校のピアノ教師を定年退職した今、人前でピアノを弾くことも少なくなったので爪を伸ばし憧れの赤いマニキュアを塗っても良いのだが、どうもそこには踏み込めない。退職し無所属になり、必要とされない人間になり、これで爪を伸ばしマニキュアまで塗ると、もう私のアイデンティティが失われるようで、出来ないのだ。
「まだそんなことに縛られてるの?別にマニキュア位塗ったってアイデンティティはなくならないよ」と言われそうだが、なぜか踏み込めない。爪は私と言う人間の「根幹と現実」を繋いでくれる唯一の物なのかもしれない。
確か20年程前だったと思うが卒業生の同窓会に呼ばれた時のことだ。卒業生は音楽を職業にしている人、主婦・母親業でてんてこ舞いしている人、別の職業についている人様々だが、いかにも音高出身という、見るからに華やかな会だった。その出席者の中で真っ赤に塗られた長い爪のひときわ目立つ30代の彼女がいた。
「凄いじゃない」思わず「元気?」の前に口を突いて出た。それ位異質な感じだった。
「ふふふ、先生、これつけ爪」
「エーっ、そんなのがあるの?」
私の周りにはつけ爪をしている人が一人もおらず、また話題にもなっていなかった。今でこそネイルサロンが各所にあり、つけ爪も珍しくないが、その頃はそうではなかった。
「やっぱ、伸ばせないでしょ、だからつけたんやけれど、これがトイレでは困るのよ。パンツを下ろす時に引っ掛かってね」
あっけらかんとして言う彼女に笑うより感心してしまった。卒業してもピアニストの心得とでもいうべき爪への意識が、教え子達に根付いている事を再確認した瞬間でもあった。
爪、いつも切り揃えられ飾りのないもの。もうそれが当たり前。
ただ自分にとってアイデンティティなどとかっこ良く言ったものの、爪を伸ばしたり塗ったりすることは、結局はもう面倒くさいというのが本音だ。
音大時代の先輩とは今年50年の付き合いになる。同じ釜の飯を食った間柄、いや同じパールのマニキュアを塗った間柄として記念のパーティでもしようかと話している。
コロナ禍の今、それも難しいことかもしれない。が、二人でパールのマニキュアを塗り連弾でも出来たらどんなに楽しいだろう。
但し50年の年月はもうすっかりマニキュアが似合わない手になってしまったが。