受講生の作品
受講生の作品
ある二月の寒い朝、まだパジャマのままバルコニーで洗濯物を干していると、窓からコトンと小さい音がして、干した洗濯物の隙間から友樹の後頭部が見えた気がした。
私を探しているのかと窓の方へ行くと、友樹はテレビの前の子供椅子にちょこんと座り、三歳になってはまりだした戦隊シリーズの録画を観ている。
気のせいかと思ったが、なんだか違和感を覚え、声をかけようと窓に手をかけたが開かない。鍵をかけられ、締め出されたのだ。
ヤバいと思って指先が震えたけれど、とにかく窓を叩いて開けて友樹、ねえお願い、と何度も言ったが一向にこちらを向かずにじっとテレビを観ている。
雪がちらつく寒い日だったが、寒さは一切感じなかった。アドレナリンが出て興奮しているのだろう。この危機的状況をなんとか突破するべく、解決策に集中した。
洗濯物を拳に巻き付け、窓を叩き割って鍵を開けようか。いやいや友樹が窓に近づいた素足でガラスの破片を踏んでしまう。では、手すりを足場に隣のバルコニーに侵入し、助けてもらおうか。しかしここは三階。万が一落ちたら大けがをしてしまう。しかも隣は老夫婦が静かに暮らしているので、いきなり私が窓に現れたら腰を抜かすだろう。あとは下階に隣接した貯水槽に飛び移り、貯水槽のはしごから地上に降りて、徒歩五分の夫の職場まで走って助けを求めようか。だが私はパジャマにノーメイク。髪をふり乱し、裸足で夫の職場に駆け込む勇気はない。
やはり、友樹に鍵を開けてもらうのがベストな選択だ。
マンションなので大声を出すのは恥ずかしいけれど、悠長なことは言っていられない。割れんばかりに力を込めて窓を叩き、開けてー開けなさい、とーもーきーーと絶叫した。
しかし友樹はチラリともこちらを見ず、読んだことのない絵本をめくっている。そう、この違和感。テレビを観ていた時の違和感と同じ、たいていはヒーローになりきって剣を振り回しながら観ているのに、おとなしく座って観ていることに不自然さがあった。
もしかして、わざと無視しているのだろうか。一瞬頭によぎったが、まだ三歳だしそれはないだろうと、いらぬ妄想をかき消した。
それより、私がいないことに気づいて泣き出したり、何かにつまずいてケガをしたりしないだろうか。お腹は空いていないだろうか。不安要素をあげたらきりがない。そして、私もこの寒さの中、夫が帰宅するまで待つ自信はない。
手すりからぎりぎりまで身を乗り出し、お隣さんを再三呼んでみたけど気づいてくれない。真下は駐輪場から通用口へ続く通路だが誰一人いない。絶望しかけた時、一台の自転車が通用口から入ってきた。
これを逃したら終わりだと、今まで出したことがないほど大声を張り上げ助けを求めた。その自転車に乗ったおばさんが、キョロキョロあたりを見回したので、上です上、と叫ぶと目が合って、やっと気づいてくれた。閉じ込められたので管理人さんか警察を呼んでくださいと頼むと、頷いてそのまま駐輪場に入って行った。すぐに管理人さんがバルコニーの真下まで駆けつけてくれ、事情を説明すると、その場で夫の携帯に電話をしてくれた。
助かったと安堵して、中の息子の様子をみていると、普段から登ったら怒られるテーブルによじ登ろうとしている。あれだけダメだと言っているのに懲りない奴だと思っていると、急に動きが止まり、慌てて子供椅子の方へ走ってきてちょこんと座った。ほどなく夫が現れて、息子を抱き、窓の鍵を開けてくれた。
私は息を呑み、この子は全てわかっていたのだと悟った。いくら気密性の高いマンションの窓でも、雨音や雷も聞こえるのに私の絶叫が聞こえないはずはない。意図的に鍵を閉め、急いで椅子に戻り、何事もなかったようにテレビを観て聞こえないふりをしていたのだ。こいつはかなり悪い奴だ。
それ以降も数々の悪事を働き、私を半狂乱にさせたのはいうまでもない。無邪気な天使と残酷な悪魔の間を行ったり来たりする友樹のおかげで、淡々とした私の人生は大いに怒ったり、泣いたり、笑ったりする色鮮やかなものになった。
十六歳になった友樹は、いたずらこそしなくなったが反抗期で私との喧嘩が絶えない。生意気な言葉に腹が立ち、出ていきなさいと玄関まで引っ張って、ドアを開けて押し出そうとすると、くるりと身をかわし、私の後ろに回ってぽんと背中を押した。勢いあまって私が外に出た瞬間、ドアが閉まりカチャリと鍵が閉まる音がした。
私はまた、締め出されてしまった。