受講生の作品
受講生の作品
「予約はないけど、大丈夫かな?」
受付けデスクの前に立っていたのは、男性二人連れでした。一人は六十歳前後、もう一人は四十代でしょうか。マスクをしていても、それぐらいは見当がつきました。どちらも地味なスーツにコート姿のビジネスマン風で、大阪のこのオフィス街ではよく見かけるタイプです。
「お二人様ですね。かしこまりました」
夜は予約客で連日満席だったこのイタリアンレストランも、最近は恥ずかしいほど空席だらけの日が続いています。
「コートをお預かりします」
私はコートを受け取ると奥のクロークに掛け、二人を席に案内しました。
「どうぞ、ごゆっくり」
テーブルにメニューを置いて顔を上げた瞬間、マスクを取った年配の方の男性の顔が目に入りました。息が止まりました。その人の唇の左下には、小さなホクロがあったのです。そのゴマ粒二つ分ほどのホクロにも、くっきりした輪郭の唇にも、ほんの少し角ばった顎の形にも見覚えがありました。
こわばった顔に笑顔を張り付けたまま受付けデスクに戻った私は、クロークにあるその人のコートを調べました。もしかしたら、ネームが入っているのではと思ったからで
す。右側の内ポケットの上に、確かにありました。黒地にシルバーグレーの糸で刺繍された文字は、『K・Adachi』
足立啓介。間違いないと思いました。二十年間会うことのなかった父でした。
「真紀子、よう聞いてな。お母さんとお父さんは離婚することになってん。お父さんはもう、帰ってきはらへん」
学校から戻ると、突然母から告げられました。私は小学校六年、一二歳になったばかりの冬でした。何が起こったのかわかりません。ただ、ガランとした家に『りこん』という音が響いていたのを覚えています。
母はその日以来、一切父の話をしませんでした。グチも恨み言も聞いたことがありません。もともと働いていた美容院で美容師を続けながら私を育て、四十三歳で自分の店を持ちました。経済的には何不自由ない母との暮らしでしたが、私の中にできた父の抜け跡のような空洞は埋まることがありませんでした。あの日の朝も父はいつもと変わらず、笑いながら私に手を振って会社に行ったのです。
なぜ父と別れたのか、高校、大学と大人になるにつれ、私は何度も母に尋ねました。父を責め、罵る言葉を聞きたかったのかも知れません。母と一緒に父を恨むことで、ぽっかり空いた穴を塞ぎたかったのかも知れません。けれど母の答えはいつも同じでした。
「どうしようもないことや。誰が悪いのでもない」
それ以上は決して話そうとはしません。
母は勝気で社交的な人で、寡黙で人付き合いが苦手な父とは対照的でした。母には別に男の人がいたのではないか。父はそれを知って出て行ったのではないか。その事実を母は自分の都合のいいように誤魔化しているのだ。いつの頃からかそう思うようになりました。そして六年前、母から遠ざかるように家を出たのです。
受付けに立ったまま過去に引き戻されながらも、私は父から目が離せませんでした。そして見たのです。食後のコーヒーを待つ間、父の向かいに座る男性が、ほんの一瞬、テーブルに置かれた父の手にそっと触れました。父の横顔は微かに微笑んでいました。
「どうしようもないこと」
ふと、母の言葉がよぎりました。そして気付きました。父は男性を愛する人なのだと。
父がなぜ母と結婚したのか、いつから自分がそうであることに気付いたのか、母はどうしてそれを知ったのか、父と母の間でどんな話がなされたのか、私には何も分かりません。けれど父の穏やかな横顔を見ていると、それはどうでもいいことのような気がした。父は自分を偽らずに生きることを望み、母はそれを受け入れたのです。そして母もまた何も偽ることなく、誰も傷付けることなく、黙って生きる道を選んだのでしょう。それは、父を愛し、私を愛してくれていたからなのだと、それだけで十分だと思えました。
小学校六年生だった私は三十二歳になり、その顔半分は、マスクで隠れたままです。父は最後まで、私が娘だと気付くことはありませんでした。それでいい。そう思いました。
相手の男性と並んで歩く父の後ろ姿を見送りながら、私は母と私の二十年間を見送りました。私の中の父も、あの日の朝のように手を振りながら、見えなくなっていきました。