受講生の作品
受講生の作品
朝の通勤ラッシュで混み合う車内で、スマートフォンを操作していた。私を囲むサラリーマンや学生風情も、各人の端末に目を落としている。無防備な背中を晒すミニスカートの若い女は、イヤホンを耳にしたまま、自動ドアのシール広告にぼんやり視線を投げかけていた。好い頃合いだった。
終着駅にまもなく着く。私は糸を引くようにスマホをズボンのポケットにしまう仕草をしながら、インカメラを起動して動画モードをオンにする。女の脚に触れないように手早くスカート内に差し込んだ。視線は落とさず、動画モードのまま静止画を撮るボタンをタップし続けた。写真モードはシャッター音が鳴るが、動画モードは無音で撮れるので便利だ。
電車がずるずると速度を落として停止した。早く降りようと身構える乗客の空気を四方に感じながら、私はスマホをポケットに押し込んだ。ドアが開き、堤防が決壊するように人が外へと押し出されていく。流れに身を任せた。女が私の行為に気づいた素振りはなかった。腰を左右に振りながら早足でエスカレーターに向かっていく。
人流から離れてひと息つく。出勤時間にはまだ早い。早く撮れたての写り具合を確認したかった。動画よりも、私は写真のほうが好きだ。一瞬の輝きを切り取った一枚は、視る者に強く訴えかけてくる。スポーツ中継をだらだら眺めるよりも、カメラマンが撮影した記事や雑誌の写真のほうが、鮮明で記憶に残りやすい。スカートの中身も同じだった。
いつもは駅を出てすぐの地下街にあるトイレの個室で確認するが、今日は魔が差した。早く視たい。好みの女だった。あの女が身に着けている隠された領域を、舐めるように観賞したかった。
それでも周囲の目が気になって、ホームの端へ歩いていく。黒い集団が整然と並んで柵の前に立っていた。カラスや獣ではない。人間だった。申し合わせたように大半が黒髪の男で、多くは眼鏡をかけ、高額そうなカメラ機材を構えている。電車を被写体として狙う「撮り鉄」という鉄道趣味の人間たちだ。近くには危険な車両撮影を控えるよう注意を促す張り紙がある。人に迷惑をかけない限り、撮影行為は自由だろうが、彼らに対する悪評はインターネット上でもよく目にする。あまり好感を抱けない。そもそも私は電車に興味がなく写真も撮らない。私が好きなのは女の隠された姿態を撮ることだけだ。
鉄道オタクたちはじきに来る電車を待っているらしい。後ろに控える私に注意を払う者は皆無だった。もうここでいいかと思い、スマホを取り出して画像フォルダを開く。薄桃色のレースの下着を複数枚確認し、頬が緩むのを実感した。
トン、と肩を叩かれた。
「撮りましたね」
振り向くと、制服を着た恰幅のいい駅員が立っていた。後ろに頭皮の薄い私服の中年男が立っている。見覚えがあった。私がすし詰めの満員電車に乗り込んだ時、肘を当ててしまって睨んできた。車中では常に真後ろに立っていたはずだ。そうか。私が女を注視していたように、男も私の挙動を観察していたのだろう。暇なやつだ。下車後に私の様子を窺い、応援を呼んだらしい。今度は駅員に背後から動かぬ証拠を見られてしまった。薄毛男の向こうから更に二人の制服が駆けて来る。
捕まってしまう。そうはいかない。私には仕事があるし、妻子もいる。スマホも没収されたくない。貴重な盗撮コレクションを失いたくはなかった。
「おい、こら!」
私に声をかけた駅員の制止を振り切り、唯一の逃げ道である線路上へと飛び降りた。とにかく逃げるしかない。ホームを離れて近くの踏切から出よう。
「どけえええええええ!!」
突然、男たちのダミ声交じりの怒号が響き、何事かと驚いた。前方から電車が来る。特急か何か知らないが見慣れない車体だった。
「邪魔! 邪魔! じゃまああっ!」
「写真撮れねぇだろ! 消えろボケェ!」
後方のホーム端で、撮り鉄たちが騒いでいる。私の存在が撮影の障害物になっているのだと理解する。まもなく轢死体となる人間よりも、やはり電車の写真写りを気にする彼らの執念に、強い共感を覚えた。私もつまるところは同じ穴のむじなだったのだと気付いた。
奇妙な解放感を覚えて、同時に彼らの邪魔にならないように、思い切り跳んでよけた。轟音を響かせて電車が通過していった。幸い私の体は無傷だったが、慌てていて放り出してしまったスマホの破片が散らばっている。写真のバックアップを取っておけばよかった。後悔したがもう遅い。死んだようにへたりこんだ私のもとに、駅員が駆け下りてくる。撮り鉄たちの歓声がやけに遠く、耳に響いた。