受講生の作品
受講生の作品
ホスピスの病室に入ると、怜子さんはベッドで微かに胸を上下させていました。末期の乳癌で、もう意識はありません。十八歳で私が家を出て以来、彼女に会ったのは父の葬儀の時だけです。熱帯夜から遮断されたこの部屋でぼんやり彼女を見下ろしていると、足元から冷気が這い上がり、刷毛で逆なでされるように記憶が蘇りました。
父の陽介と、母の奈美江、そして二人の名前から陽奈子(ひなこ)と名付けられた私。大阪の郊外の借家で暮らす、平凡の中に埋もれてしまうほど平凡な私達家族の前に、なぜこの人は現れたのか。何もかもの始まりは三十五年前。あの夏の日だったのです。
小学校三年生の夏休みでした。友達の家に遊びに行った帰り際、近道を見つけました。
軽トラックがやっと一台通れるほどのあぜ道でした。さっきまでの激しいにわか雨が嘘のように八月の太陽が照りつけ、昼時だからか誰一人通る人はいません。
一瞬の風もない田んぼには、まだ青々とした稲が雫(しずく)を滴らせ、道の両側の雑草からは、むせるほど青臭さが立ち上ってきます。
しばらく行くと、道の左側で田んぼは途切れ、大きな池が広がっていました。絵の具を溶いたような濃い緑色の池は、泥や藻が腐った臭いを放っています。心細くなった私は、思わず立ち止まりました。振り返っても後戻りするには遅く、仕方なくまた歩き出そうとした瞬間です。息をのみました。
蛇がいたのです。道の少し先に横たわるその長さは私の背丈ほどありそうで、ぬめっとくすんだ緑色の体の先には菱形の頭。一ミリも動こうとせず、真っ黒に光る丸い目がじっと私を見ています。石のように固まったままの私は、見てはいけないと思うほど、蛇から目を逸らすことができませんでした。
「怖がる者(もん)ほど、蛇に取り憑かれるんやで」
物心ついた頃からなぜか異常に蛇を怖がる私に、笑いながら母がよく言っていた言葉を思い出した時でした。蛇は突然地を這い出し、池の方へ姿を消したかと思うと、水の上をくねくねと滑るように泳いで行ったのです。
私はあぜ道を一気に駆け抜けました。後のことは覚えていません。気がつくと、玄関で母にしがみついて大声で泣いていました。その時の母の温もりを、今も忘れられません。
それから三カ月ほど後です。母が死にました。池で溺れたのです。蛇が泳いで行ったあの池です。警察の人がいろいろ調べましたが、事件性も自殺の可能性もなく、通りがかりに足を滑らせだろうという事でした。
母を亡くした父の憔悴ぶりは酷いもので、見かねた近所の人達が何かと私達父娘の面倒を見てくれました。私はそんな父を不甲斐なく思いながらも、それほど母のことが好きだったのだ。そう思うことで父の中に母を見ていたのです。
幽霊のようだった父も、一年ほどの間に以前の父に戻っていました。そして私が五年生になった春、再婚すると言い出したのです。
「新しいお母ちゃんなんかいらん!」
「まあ、いっぺん会うてみ。ええ人やで」
私は拒絶し続けましたが、父は気にも留めず相手を家に連れて来ました。
それが怜子さんでした。父より五歳若い三十三歳。幼い時に両親と死に別れて、身寄りはなく、施設で育ったということです。
「初めまして。陽奈子ちゃん、やね?」
目尻がキュッと上がった黒い目で見つめられて、あっと思いました。初めてではない。確か母が溺れ死ぬ十日ほど前、あなたは母を訪ねてこの家に来ていた。学校から帰った私と玄関で出くわして「陽介さんの娘……」と呟いていたではないか。
心の中で叫びましたが、言えませんでした。父はそんな事は知らない様子で、久しぶりによく笑っています。なによりも私を見る怜子さんの目が、何も言うなと語っていたのです。
その後すぐに父は彼女と再婚しました。怜子さんを一度も母と呼ばない私に、彼女は優しく寛容でした。けれど夏でもひやりとした彼女の肌や、同じ秘密を持つ者を見るような目は、いつも私を怯えさせました。
怜子さんは母がいた時から父と関係があったのだ。母の死と彼女は繋がっているのではないか。私の中にはそんな疑いがインクの染みのように広がり、次第に濃くなっていきました。
あの時の蛇だ。そう思いました。怜子さんは私達から母というピースが欠けるのをじっと待ち、その隙間に自分をはめたのです。もう誰も身動きできないくらい、ぴったりと。
ベッドに横たわりながら、怜子さんはまた私を待っていました。二人の秘密を、これからは私だけで背負っていくのだと。それを伝えたかったのでしょうか。閉じた目蓋の下で、あの黒い目が、私を見ている気がします。