受講生の作品
受講生の作品
深夜、陸軍航空輸送部太刀洗支部の司令室に、通信士官の林中尉が飛び込んできた。
「牛島閣下搭乗の輸送機が敵機に待ち伏せられている模様であります!」
先任参謀の川田少佐が憤然と立ち上がった。
「馬鹿な! どこからも電探報告はない!」
昭和十九年も後半になると戦況はますます悪化し、日本近海ですら米空母機動部隊の艦載機が跳梁し始めていた。
特に第三二軍司令官に任ぜられた牛島満中将が赴任しようとしている沖縄の近辺は、南に隣接するフィリピン海において米機動部隊が遊弋していて、油断ならない。
陸軍は喜界島など要所に電波探知機を配備し警戒しているが、現用の国産電波探知機タチ六号は精度が悪く故障も多い。
つまり、ここ九州から沖縄まで輸送機が飛ぶこと自体、相当に危険なのであった。
そこで川田たち参謀は、速度の出る百式輸送機二型を用意し、敵から見えぬ闇夜を選び、味方対空砲の誤射を避けるため各部隊に暗号で連絡を取るなど、綿密に準備してきた。
「林中尉、説明してくいやい」
司令官の大迫中佐の薩摩言葉を聞いて林は牛島中将の朗らかな薩摩言葉を思い出し、その身を案じた。牛島は、林が陸軍士官学校の生徒であった時の校長であった。
「敵機間の無線通話が聞こえたのであります」
林に面子を潰されたと思ったのであろうか、川田は苛立ちを隠さなかった。
「機載無線の出力で電波はここまで届かん!」
「しかし――」
電波は上空の電離層の状態など様々な条件によって思わぬ遠距離まで届くことがある。
林のそんな説明に川田はさらに苛立った。
「この闇夜だ。敵機は何もできん!」
「電探搭載の夜戦型グラマンかもしれません」
林は無線傍受を通じその配備を肌で感じている。他方、川田はその実戦投入は来年だとの航空本部情報を信じていた。だが、大迫は中央からの情報に拘泥しない。
「林中尉、敵機の待ち伏せだとなぜ分かっか」
「酷(ひど)い雑音でしたが〝トプシー〟〝推定位置〟なる言葉が確かに聞こえました」
トプシーは、陸軍百式輸送機に米軍が付けた暗号名である。
川田が拳を握りしめ、呻った。
「また、わが方の暗号が解読されたか――」
昨年のこと、連合艦隊司令長官・山本五十六大将搭乗機が敵機に待ち伏せられ撃墜された。敵に暗号が解読された恐れ大として陸海軍は即座に新たな暗号表を作成し運用しているが、再び解読されたのかもしれない。
林は壁に貼った地図上の沖縄本島の北方海域辺りに指で円を描いた。
「敵がいるとすればこの辺り、牛島閣下の機が到達するまで十分か十五分であります」
大迫が決然と言葉を口にした。
「西方向に半径百㎞の大迂回じゃ」
確かにそうすれば航続距離の限界近くで行動しているであろう敵機を躱せるに違いない。
参謀の一人が疑問を呈した。
「しかし、どうやって機に連絡を――」
暗号通信は暗号表を睨みながらの複雑な作業が必要である。敵が解読するしないに関わらず、間に合わない。
「平文通話しかなか」
大迫の言葉に参謀たちは口々に異を唱えた。
「平文は危険であります!」
「牛島閣下が間近だと敵に察知されます!」
敵は日本語に堪能な語学兵により常に日本側の無線通話を傍受している。
大迫は参謀たちを見回し大声を上げた。
「ンニャア、イケンスカイっ!?」
参謀たちが顔を見合わせ首を傾げた。
「何(ない)か良か方法はなかかと聞いちょっとよ」
仕方なく大迫は自分で通訳した。
林はその様子を見て、策を思い付いた。
参謀が居並ぶなかで通信士官が作戦に意見を挟むのは躊躇われる。が、このままでは牛島中将が危い。林は深呼吸し、意を決した。
「大迫司令が通話されてはいかがでしょうか」
参謀たちが呆気にとられた。
「鹿児島人どうしが日常生活で使う本式の薩摩言葉を早口で用い、機に知らせます」
川田が林の胸倉を掴んだ。
「貴様、戦(いくさ)を舐めておるかっ!」
林は丹田で呼吸し、何とか言葉を接いだ。
「牛島閣下は大迫司令と同郷かと――」
大迫は鷹揚に笑った。
「薩摩言葉は元来が島津ン殿様が防諜んために作られた言葉。言わば本来用法じゃっで」
無線室で大迫は林から通話器を渡された。
「ウッサアウッサアオイハ(牛さん牛さん私は)カジヤマチンオーサコデゴアッデチスキイタモハンカ(鍛冶屋町の大迫でしてちょっと聞いてくれませんか)」
早口で捲し立てる大迫の本式の薩摩言葉を、周りの者たちは殆ど聞き取れなかった。
牛島中将が沖縄北飛行場に無事到着したのは、それから二時間後のことであった。