受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 2021年度 フィクション部門 奨励賞受賞

久保田 浩文 さん
大学院
23期生(2009年度)
性別:男性

脱皮

 部屋の中にいる数名のメンバーは、息ができないほどの緊張感に包まれた。「執行」と、いう所長の張りつめた声が全員の鼓膜に届いた。西田浩二を含む三名が一斉に赤いボタンを押した。ところが板が開かない。数秒、全員の時間が止まった。ガーゼで目隠しされ、後ろ手錠で両足を強く紐で縛られた男が、突然暴れながら叫んだ。

「おれ、おれ、これで命は助かるんだよな」

「やり直しだ。おとなしくしていろ」

 所長が男に強く命令した。戦後初めて、法務大臣が執行に立ち会った日である。

「こんな大事な日にミスが発生するとは」

 彼は直ちに板とボタンの検査を命じた。どのボタンでも板は開く。三名を呼び出した。

「このなかに、ボタンを押さなかったものがいる。正直に名乗りでろ」

 重く気まずい沈黙の時間が流れた。

「たぶん、私だと思います。少し遅れて押そうとしたのですが、緊張して親指が動かなくなり押せなかったんです」

「西田は、明日から自宅待機だ」

 翌日、所長は担当を全員入れ替え刑を執行した。いつもであれば、朝六時には起きて七時に家を出る浩二が家にいるので、父の進が声をかけた。

「どうした。今日は休みか」

「しばらく、自宅待機になった」

「何か不始末を起こしたか」

「ああ。赤いボタンを押せなかったんだ。何度も放火殺人の犯罪記録を読み込んで、鬼畜だと思い込むようにしたのだけど、やはりだめだった。首になると思う」

 進は黙り込んだ。彼も浩二と同じ刑務官をしていたが、警備会社に転職していた。

「刑務官は犯罪者の更生を図る仕事なのだがこれは無期懲役囚までだ。死刑囚の場合は更生させても出口はない。ただ、その半数は罪を本当に悔いている。刑務官として乗り越えなくてはならない壁が死刑執行の業務だ」

「父さんの時代は、どうだったの」

「昔は今と違い、勤務態度が悪い奴が回された。当日、欠勤したメンバーの代わりに一回だけ執行した。その日は早く帰れる。家の玄関で亡くなった母さんに塩を持ってくるよう言った。母さんの父親も刑務官だったから、何の日か分かったはずだ。午後からずっと無言で酒を飲み続ける。

 その日の光景を思いだすと全く酔えない。特別手当は当日に現金でわずか二万円渡されるが、誰一人、財布には入れずその日に酒を飲んで使い切るんだ」

「法の名のもとに、殺人をしている」

「反対論は前からある。非人道的な刑罰であると。一方、被害者家族の心情に配慮が必要ではないか、制度がなくなると犯罪の抑止にならないという主張も根強くある」

 浩二は、黙って聞いていた。

「その執行の時、先輩の刑務官が四メートル下に落ちてくる死刑囚の受け役をすることになったんだ。指名された時、彼は所長の前で土下座し、「来週、孫が生まれます。死刑囚を受けた手で孫を抱くのは勘弁してください」と、泣きながら床に頭を何度も強くぶつけ、大きな音を出しながら懇願した。非常に困惑し複雑な表情をしている所長に「私が志願すれば命令違反にはならないですよね」と名乗りを上げたのが、お前に自宅待機を命じた東所長だ。落下すると意識は三分程度でなくなるが心臓はまだ十数分動く。そうすると体液などが出て、足から三十センチ下の床にゆっくり落ちるんだ。マスクをしてもその強烈な匂いからは逃げられない。だから誰もが執行のなかでも一番やりたくない仕事なんだ」

「でも、父さんはどうして転職したの」

「その死刑囚の執行した後、真犯人の妻が凶器のナイフを持って名乗り出た。主人が犯人ですと。ただ、真犯人は病死していた。ナイフの血液と被害者のDNAが完全に一致し、完全に誤審及び誤執行であることが分かったんだ。判決を下した裁判官、検察関係者は、時期にずれはあるが全員定年前に退職した。受け役を買って出た東には「お前は執行したわけではないから残れ」と説得した。命日、つまり誤執行日に処刑された死刑囚の墓参りには、毎年行っている」

 一週間後、所長から西田に電話があった。

「法務大臣が、今回は機械の故障で処理してくれた。元検察官だから刑務官に配慮したくれた。明日から出て来い」

 翌日、「心を入れ替えて頑張ります」と、浩二は所長の東に深々と頭を下げた。その日の昼休み、東から進に電話があった。

「浩二くんも少し腹が決まったようです。私が所長になれたのも「残れ」と指示していただいた先輩のおかげです。息子さんを一人前の刑務官にして、恩返しさせてください」

「ただ執行の際、私も赤いボタンを押すのが数秒遅れ、押した時に扉が開いたこと、執行のミスが判明した直後、妻が急性の白血病になったことは浩二にまだ言っていないから」

【選 評】

  • 非常に特異な題材。刑務官の苦しい業務が胸をうつ。上手い作品。

 

  • 死刑執行を行う刑務官の心の悩みを描いた作品で、随分以前の芥川賞作品に同一内容を扱った作品があった。芸術的な意味ではその受賞作に軍配があがるが、通俗的で面白いという意味からは、今作の方が上である。何れにせよ、小説上の創作性とリアリティーの間合いの曖昧さが絶妙で良く書けている。
作品種類
心斎橋大学ラジオシアター放送作
作品集「炎心」コンクール受賞作
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
脚本(ラジオ)
ノンフィクション
小説
エッセイ
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  • 受講生の作品

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