受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 2023年度 フィクション部門 優秀作品賞受賞

野口 康之
大学院
33期生(2019年度)
性別:男性

群盲蜘蛛を評す

 木枯らしが庭の枯れ葉を舞い上がらせ冬の到来を知らせる。とは言え盲僧の目には、その景色は映らない。身に刺さる寒さだけを頼りに、彼らは季節の移り変わりをはかる。
 普請するものなどが居ない古寺は無残に荒れ果てている。山門の瓦は崩れ、土壁の所々からは藁すさが見える。見栄えなど一文の価値もない。雨風をしのげれば、それで良いのだ。一見すると誰からも忘れ去られたような寺であったが、時折聞える琵琶の音と、木々をぬって響く経の聲が道標となり人を導く。
 毎年、師走の竈祓いに出る前になると、師匠は琵琶の稽古をつけるために若い僧たちを寺へ集めた。この時期が来ると、東からひとり、西からひとりと、あちらこちらに散っていた僧たちが、琵琶の音に誘われ帰ってきた。
 寺には五人の盲僧が集まった。年に幾度もない稽古は、腰の座らない旅から旅の暮らしの中で、心安むひと時でもあった。

 本堂の障子の穴から隙間風が吹き込み、破れた障子紙がひらひらと揺れている。僧たちは氷にように冷えた本堂の板の間に車座になって座り、衣を正して師匠を待っていた。
「おお、待たせたな」
 こつこつと細長い白木の杖で足下を突きながら、琵琶を抱えた師匠が皆の前に現れた。
「稽古の前に、尋ねたいことがある」
 師匠は腰を下ろした早々に、頭を左右に振りながら袂に手を入れて中を探り始めた。
「うむ、これじゃ。今朝のこと、目が覚めるとこやつが額の上に乗っておった。気味の悪い手触りでな。これが何か分かるものはおらぬか」
 そう言うと、師匠は隣に座る一番弟子が広げた手のひらに、それをそっと置いた。
 神妙な面持ちで受け取った弟子は、渡されたものを二度、三度握るとこう言った。
「お師匠さま、これは猪の毛玉でございます」と、隣の兄弟弟子に、それを渡した。
「いや、これは巣から落ちた雀の雛でございます」と、それを隣へ渡す。
「いやいや、これは麦の穂でございます」と首を振って、また隣へ。
「いやいやいや、これは丸めた懐紙でございます」と、ため息をひとつ、また隣へ。
「いやいやいやいや、これは麻紐の切れ端でございます」
 と、一周回って師匠の元へ、その得体の分からぬものを返した。
「はて、困ったものじゃ。皆が皆、違うことを言うではないか」
 師匠の困惑は、表情はもちろん、声にも現れた。
「おまえが違うことを言うからじゃ」一番弟子が他の兄弟弟子に言った。
「いや、違うのは兄者では」と他の兄弟弟子がそれに反論する。
「いやいや、おまえが」
「いやいやいや、おまえさんの方ではないか」
「いやいやいやいや、おまえの方こそ」
 弟子たちの声が大きくなり、互いに言い争いを始めてしまった。
「おまえだ」
「いや、おまえさんだ」
 とうとう癇癪を起こした者が杖で仲間を叩き、取っ組み合いの喧嘩になってしまった。喧嘩の声は静かな古寺を抜け、山門の外にも響いた。
「坊っさま、坊っさま。なんてことを。喧嘩をおやめくださいまし」
 寺とは不釣り合いな怒声を聞きつけたひとりの百姓が、本堂で争う盲僧たちの元に飛び込んできた。
 百姓の仲裁の声を聞いた師匠は「おお、どなたか分からぬが、盲いたわしらの代わりに、この争いのたねを見てくれぬか」と、手のひらの上のそれを百姓に差し出した。
「坊っさま、これは蜘蛛の死骸でございます。死んだ大きなアシダカです。ふたつの眼でしっかり見たので間違いありません」
 百姓は両手のひらの上に載せた蜘蛛の死骸を顔の前に寄せながらこたえた。
 盲僧たちは振り上げた杖を下ろすと、己の愚行を恥じて一様に首を垂れた。
「この蜘蛛は悪い虫を喰う働き者です。夏の間によう働いたんでしょう。労いの気持ちを込めて皆で弔ってやってはいかがでしょうか」
 そう言って百姓は庭先に降りると、持っていた鍬で小さな穴を掘り、蜘蛛をそこに埋めた。
「そうであったか。そうであったか」
 師匠は百姓の声に向かって深くうなずき謝意を示すと、鷹揚に般若心経を唱え始めた。するとそれに呼応するように他の弟子たちも数珠を手に取り、蜘蛛を悼み経を唱えた。
 手を合わせた百姓は、あの世で蜘蛛が他のものに間違われぬようにと心の中で祈った。
 びゅうと冷たい風が百姓の頬を撫でる。団栗がひとつ木から落ちて、墓標のように蜘蛛の墓の前に転がった。

【選 評】

  • 登場人物のかけあいが楽しい。ユーモアのある表現にエンターテイメント性を感じた。
  • 群盲が評す対象を「象」ではなく「蜘蛛」とした意趣が卓逸で、作者がそれをもって、現代の、あるいは人の世の、どのようなありさまを照らそうと意図されているのかとても興味深いと思いました。平易な言葉で描かれたこの物語の行間に、寂莫とした荒野を感じました。500字にとどまらないその拡がりがこの作品の魅力だと思います。
  • 昔話の教訓めいて興味深い。
  • きれいな文章、文体から紡ぎ出される一篇。手の感触からの、それが何かを探る盲僧たちの探り、駆けつけた百姓の「クモの死骸」の真実に経を唱える僧たち。百姓の善良さが心をあたためてくれた。
  • 時代ものに多い固さがなく、ユーモアも感じられて、面白かったです。文章もリズムがあって読みやすく、うまい!
  • 古典作品のような趣があって、完成度の高い作品にしあがっています
作品種類
心斎橋大学ラジオシアター放送作
作品集「炎心」コンクール受賞作
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
脚本(ラジオ)
ノンフィクション
小説
エッセイ
  • 心斎橋大学の一年
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