受講生の作品
受講生の作品
朝、郵便受けを確認して新聞しか入っていないと悲しい。その日はずっと、耳を澄ませて、郵便受けがカタンと鳴くのをじっと待つ。
真っ白い封筒を開くと、私のあかぎれだらけの乾いた手は、途端に水分を取り戻し、つきたてのお餅のように柔らかく、甘い匂いになる。お姉さまの字は柔らかく、でもハネが勢いよくて、凛々しくて好き。お姉さまは時々、素敵なプレゼントを封筒に忍ばせてくれる。「少女の友」の切り抜き、可愛いキャンディの包み紙、今日は、桜の押し花が入っていた。こんな綺麗な桜が咲いている学校に通っているなんて、なんて素敵なのだろう。何度も手紙を読み返す。返事を書くのは、家族が皆、寝てからだ。
娘が学校から帰ってきた。私は手紙を抽斗にしまい、お夕飯の準備に取り掛かる。娘はもう何度も読み返して、角が削れてしまった「少女の友」をまた飽きもせず、開いている。
私がお姉さまと文通をするきっかけも、この「少女の友」である。娘の誕生日に買ってやった「少女の友」の文通相手募集の欄にお姉さまが投稿していたのだ。女学校二年生だというお姉さまの「妹募集」とだけの簡潔な投稿文に惹かれて、手紙を送った。お姉さまとそう変わらない齢の娘がいることは言えなかった。私は十三歳のふりをして、病気がちで女学校に行けていないと嘘を書いた。返事はすぐに届いた。「私がお姉さんになってあげる。女学校のことたくさん教えてあげるわね」と書いてあった。その手紙は今までもらった手紙の中でも特に大事な宝物だ。約束通り、お姉さまは女学校のことをいつも教えてくれる。お姉さまは学校には可愛がっている妹はいないのかしら。いつも、すぐに返事をくださるし、今日も素敵な押し花を送ってくださったけれど、同じように優しくされてる子がいたらと思うと、私はその子が許せない。手紙を開くとき、お姉さまのことを考える時、私は妻ではなく、母親ではなく十三歳の少女で、この十三歳の少女こそが本当の私なのだ。
布団の中、夫の手が私に触れる時、私が思うのはお姉さまのことで、お姉さまのものだけでいられないことが悲しくて、夫にばれないように静かに泣く。お姉さまに夫のことがバレてしまったらどうしよう。もう妹と呼んでくれないだろう。でも、私がお姉さまだけのものでないことに怒って、目を赤らめるお姉さまのことは見たいと思う。その怖い目で私のことを打ってほしい。見たことのないお姉さまフィクションの顔に飾られている、あの凛々しいハネを書く人に相応しい怖い目に、睨まれることを思いながら、私は夫の腕の中で一日を終える。朝が来れば、私はまたずっと、郵便受けのカタンという音を待ち続ける。
昼過ぎから降り始めた雨は、激しく郵便受けを叩き、これでは手紙が届く合図を聞き逃してしまう。夕方になって、夫が傘を持たず家を出たことを思い出し、駅まで迎えに行った。駅前は私と同じように傘を二本持つ人が溢れている。賑やかに文字が敷き詰められている伝言板の中に光る文字を見つけた。
「裏の喫茶店に居ます。 和子」
「に」の一画目が勢いよくハネており、それなのに二画目が丸く弧を描いて柔らかくなっている「に」という文字。これはいつも「桜子にあげるわね」と私の名前へと続く「に」であった。私の本当の名前は桜子ではない。和子という名前を私は知らない。お姉さまは自らを菫と名乗った。私たちは親から花の名を与えてもらえなかった少女たちなのだった。
傘を差すことも鬱陶しく、濡れながら喫茶店へと走った。そこには可憐な女学校のお嬢様はいなかったけれど、私が思い描いていたより、透き通って優しい目をしている慎ましやかな少女がいた。
「お姉さま」
私は、夫のために駅に来たことも忘れて、お姉さまに駆け寄った。お姉さまの瞳は一瞬迷いに曇ってしまったけれど、すぐに霧が晴れて、
「桜子でしょう」
と言いながら、自分の母親と年の変わらないであろう私に、ハンカチを渡してくれた。
「私、女学校に通っていないの。お金がなくて通えなかったの。手紙に書いていることは全部嘘なの。でも貴女も、私と同じで嘘つきだったのね。だから、おあいこね」
お姉さまの目は、怒っておらず、可愛い妹を見る優しい目をしていた。その目が許してくれるから、私は大きな声をあげて泣いた。
「私、今から私の夫になる人に会うの。お嫁になんて行きたくないけれど、仕方ないの。でも、こうして妹に会えたんだから頑張れそうな気がするわ」
私は、お姉さまを電車に乗せ、名前も知らない遠い駅まで連れ去りたかった。でも、そんなことできるはずがなく、ただ、この雨ができるだけ激しくなって、喫茶店の扉が開くのが一秒でも遅くなることを祈った。