受講生の作品
受講生の作品
さすが先君・家光公が創建されし品川東海寺。ここ、厨房だけでも五百畳はあろうか。
それにしても、奥の床几に着座せし朱舜水先生の微笑の高潔さに比べ、竈近くに座る敵将、酒井様の薄ら笑いの下卑たることよ。
先生の御前の卓子には我ら水戸方が供せし白磁の中鉢と酒井方が供せし鉄色の中鉢。
料理を平らげ双方の鉢を見つめていた先生が、おお、半紙に何やら書き始められたわ。
それにしても、この勝負、分が悪い。
わしは三十年修業を積みし水戸藩賄頭、淺井左内。料理には自信がある。
が、今回お題の唐料理、名すら知らなんだ。
それに対し、酒井方の料理人は長崎の唐人寺の唐人典座。この料理が大の得意と聞く。
酒井様が殿を見てニヤリと笑われたわ。
「あん、ごじゃっぺ野郎めが!」
出た! 殿の水戸言葉!
ごじゃっぺとは、阿呆馬鹿のこと。
殿は御幼少の折、故あって水戸にて三木仁兵衛殿に育てられた。そのせいか、江戸常府の御身でありながら時おり水戸言葉が出る。
特に、お気持ちが昂ったときに、出る。
だが、かかる場での国言葉は第二代水戸藩主としての沽券に関わる。諫言差し上げねば。
「殿。落ち着きあそばせ。水戸言葉が……」
「これが落ぢづいでおれっが! 舜水先生が水戸藩さ来っがどっがの瀬戸際だべ!」
ああぁぁ、雷が如き大音声で!
酒井方の者が目を剥いておるわ。
ま、殿のお気持ちが昂るのも無理はない。
殿は、清国の手を逃れ長崎に来られし明国の大学者・朱舜水先生を師に迎えんと藩儒・小宅処斎を遣わし一年にわたり礼を尽くした。
我が藩が殿のもと八年前より手掛けし日本史編纂を御指南頂くためじゃ。
ところが先生が水戸藩行きを決意し品川まで来られた時、酒井様が先生を横取りにきた。
御公儀も最近、日本史編纂を始めたそうで、その箔をつけるためとの噂じゃ。
酒井様は今を時めく老中筆頭、上様も言いなりらしい。上意を持ち出されては、水戸徳川家といえども分が悪い。
舜水先生も困られた。
「上下なれば上様に従うが理。而して後先なれば水戸様を重んずるが義。決し難き哉」と。
で、先生はこう言い出された。
「我、好物あり。我が故国の料理なり。その料理を佳くお作り下さる君を選ばん」と。
その好物料理が、『拉麺』である。
最初、殿から拉麺なる語を聞いたとき、わしは想像もつかなんだ。が、長崎で長くいた小宅殿に聞き朧気に分かった。両手で麺生地を延ばして作る、黄色く細き饂飩らしい。
わしは試行錯誤を重ねに重ねた。
それにしても、酒井方の妨害は酷かった。拉麺には『鹹水』なる水が必要であるに、酒井方は日本中の唐物商の鹹水を買い占めた。当方は鹹水を使えず、麺のコシに苦労した。
そこで殿が発案し、御領内は土浦の蓮根を練り込んでみた。風味に深き滋味と揺るがぬ土台が備わった。が、コシは出なんだ。
結局、琉球の『木灰そば』のことを薩摩藩の賄方から何とか聞き出し、活路が開けた。
琉球では榕樹の木の灰の上澄みを鹹水代わりに使い唐風麺を作る。それを真似た。
出汁も苦労した。本場の拉麺は金華火腿なる食材を使うがやはり妨害で手に入らなんだ。
そこで殿と考え、鹿島灘の鮟鱇に浮木の燻製、奥久慈の軍鶏など御領内の産物を使った。
殿は御領地を実に慈しんでおられる。
結果、上々の出汁ができたと思う。
が、舜水先生の御口には、どうか。
「左内! いよいよ勝敗が決まっぺ!」
おお、舜水先生が左手で酒井方の鉢の上に半紙を掲げられた!
ああぁぁ! 『美味』と書かれておる!
かくなる上はこの左内、腹割っ捌き……。
お、先生が右手でもう一枚の半紙を我らが鉢の上に掲げられたぞ!
ん? 『存誠』とな。
舜水先生が口を開かれた。
「美しきものは春風の如し。心地よく、而して吹きすぎて行くもの也」
先生が『美味』の紙を卓子に置いた。
あっ! 風で紙がふうわり飛んでいくっ!
先生が『存誠』を両手で頭上に掲げた!
「誠が在るものは雨の如し。鬱陶しくもあり怒涛ともなる。而して万物を育てん」
もしがしで、我らの勝ぢ……?
「水戸殿。我が学問を受け止める御覚悟はありや。わが学問は一切虚飾を廃し至誠を求めんとす。鬱陶しく激しき学問ですぞ」
殿が目さ潤ませ、口さ開いだべ!
「命を賭しても、お受け止め申し上げまする」
さすが殿。大事な時にゃ、はぁ冷静だべ!
こいで水戸藩の日本史に怒涛の力が宿っぺ! 志ある士を奮い立たせるが如き力が!
んだば『日本史』っちより『大日本史』ち名が良いがっぺ! え? そうでねが?