受講生の作品

心斎橋大学 修了制作作品2015年度 最優秀賞

入江 昭彦さん
創作・小説コース
28期生(2014年度)
性別:男性

痕跡

カッターシャツに黒のベストとズボン。帽子と極薄の手袋を装着し、颯爽と現れた男。精悍な顔つきの奥に、人を慈しむ心が詰まっていそうな彼の人柄を、私の心は瞬間的に捉えた。

私の取材に、仕事をしている瞬間の「姿と想い」を伝える為、あえてこの姿で臨んでくれたのだ。

「僕の仕事の信条は、一切の痕跡を残さない事。例えどんな状態になっていようと、昨日の形跡を一切消し去り、今日の為に真新しい人生の舞台を作り上げる。自分は一流のプロファイラーだと自信を持っている。プロファイリングする事で、手際よく間違いなく昨日の痕跡を消し去り、真新しい今日の舞台を作り上げられるから」

彼は何者か? 仕事で痕跡を残さない事を信条としているが、決して法を犯す事を生業としているのではない。一流のプロファイラーだが、警察関係や心理学者でもない。舞台を作り上げる仕事だが、テレビ局の大道具担当でもない。

その正体は、中谷輝一 四十三才。
清掃のプロフェッショナル。

大手清掃会社社員。彼は二十年来、会社が委託されたホテルの客室清掃の責任者として、五十名からの部下を率いている。

「今日、宿泊されるお客様の目的は旅行、記念日、出張、癒しの為など様々ですが、どれも大切な一日で、かけがえの無い時間をこの部屋で過ごす。その人達の物語の舞台が部屋に入った瞬間に幕を開けます。そこにもし、前日の宿泊者の靴下がベッドの脇に落ちていたら。冷蔵庫にペットボトルの蓋が残っていたら。洗面台に髪の毛があったら。全てが台無しになってしまう」続けて彼が言うには、物だけではなく、たばこや香水、正体不明のほのかな異臭もその対象だ。

「若い時に、ドアの内側やテーブルに付着した微かな指紋、しかも太陽光が、ある角度で照らした時に浮かび上がる指紋で、クレームになった事が教訓として残っています。だから前日の宿泊者の物、匂い、汚れ、傷、跡形の一切を消し去る。前日の宿泊者が部屋を出た十二時から今日の宿泊者が部屋に入る十五時迄のわずか三時間で」

口数の多い方ではないと言う彼が徐々に饒舌になる。

「その為に部屋に入るとまずプロファイリングを行います。部屋に残された物や匂い。使用済のパジャマやベッドの使用状態から、ここで何を食べ、どんな事をして過ごしたのか、部屋中をじっくり見渡すと、宿泊した人達の物語が全て見えてきます」彼は自信を持って話している。

「この部屋では行儀の良い恋人達が、シャンパンとフルーツで記念日を祝って素敵な夜を過ごしたのだな。この部屋の三人の家族はケーキとコーヒーで息子の誕生日を祝った。こっちの若者達はマナーがなっていないな。この老夫婦は、大阪の観光名所を巡ろうとパンフレットを仲良く見ていたのだなと。全ての物の置き場所や置き方で状況が想像出来ます」

プロファイリングの活用は、例えば、やんちゃな子供が宿泊したと想像される時は、玩具や靴下がベッドの下に落ちていないか? マナーの悪い若者達は、部屋に傷を付けたり壊していないか? ケーキで誕生日を祝った家族の部屋は、冷蔵庫の上部にクリームが付着していないか? シャンパンで記念日を祝ったカップルは忘れ物をしていないか? 酒に酔った人達の部屋は、金庫や壁が悪戯されていないか? ここから、全ての痕跡を消し去る清掃のポイントが見極められると言う。

彼は微笑み、私に言った。

「このホテルは二百五十二室だから、一夜にその数の物語が創られる。 僕が小説家なら残された部屋の状態から、二百五十二の短編小説が書けるよ」私は頷いた。

彼は六年前に宿泊した、老夫婦の事が忘れられない。

「三連泊の二日目に外出中のご夫婦の部屋へ清掃に入った時、デスクの上に、資料が綺麗に置かれていました。一番上の書類に『一・一七のつどい神戸三宮 東遊園地』の記載。前日が阪神淡路大震災の十五年目だったので、ご夫婦が出席された事を直感的に把握しました。せめて快適な滞在をと願い、毎日、念入りに清掃し、家具の位置からコーヒーの置き場所までご夫婦に合った配置をしました。ご夫婦が出発され、部屋に一枚のメモがありました。

そこには(毎日綺麗な掃除、有難う御座いました。私共は鹿児島から来て、十七日に神戸の震災追悼式に出席した後、亡くなった息子と十六年前に一緒に泊まった、このホテルに宿泊しました。お蔭様で良い時間を過ごさせて頂きました)とありました。僕は次の宿泊者に痕跡を残さない部屋を提供する為、いつも素早く手際良く掃除していたけど、この時はゆっくりとご夫婦の想い出を大切な場所に仕舞い込む様に、丁寧に片付けと掃除をしました。実は僕も追悼式に出席していたから。もし僕と父が逆だったら、父もあんなメモを誰かに残してくれたかな」

以来、中谷輝一は一層、痕跡の無い新しい舞台を毎日、宿泊者に提供している。時には仕舞い込む様に。

作品種類
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
ノンフィクション
小説
エッセイ
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