受講生の作品
受講生の作品
私が生まれ育った家の天井には、長方形の大きな窓があった。物好きな父が、明かりを取り込むために職人に作ってもらったらしいが、その窓から見る景色は格別だった。
夏の夜には、満天の星空にひときわ大きな流れ星を、冬の終わりになれば雪が雨粒に変わり雫になって流れて行く様を見ることができた。
いつしか窓は私のお気に入りになり、朝起きるとすぐに窓の下に行き見上げるのが日課になった。
大人になったある日、窓を見上げると、そこに濃い青紫色の朝顔の花が一輪。
鉢に植えたはずの朝顔が、めいっぱいツルを伸ばし壁をつたって、とうとう天井の窓まで辿りついたらしい。窓の端からそっと恥ずかしそうに顔を覗かせる姿は、とても愛らしく思わず「おはよう」と声をかけた。
この朝顔はそもそも母が植えたものだ。
母は、散歩の途中に仲良くなった人から、花の種をもらって来ては植えたりするので、我が家の庭は様々な種を植えた素焼きの鉢がたくさん並んでいた。
朝顔も同じで、その年の花が終わると種を取り、翌年またその種を植えるため、年々増えていった。
曇った日の朝などには、濃い青紫色の朝顔が百輪以上も咲く。だから、天井の窓に見えた朝顔も、次々と増えていくものと思っていた。しかし、その後、増えることはなく、あの一輪の花さえも、消えてしまった。
高齢になった母が、室内で転倒し入院したのは、朝顔の種をまいた後のことだった。肩を脱臼したため三週間の安静が必要だと言う。これまで、病気らしい病気などしたことがない気丈な母も、さすがに今回の入院はこたえたらしく、娘の面会を今か今かと首を長くして待っていた。
何とか元気づけようと、私が持って行くのは、いつも朝顔の写真。双葉が開いた時、葉っぱが一つ増えた時、蕾に色がついた時、そして見事に花が開いた時。写真を見ると、母の顔がパッと明るくなった。どんなみやげ話より、母にとっては朝顔の花が心の栄養ではなかったか。
母は、一度の入院をきっかけに入退院を繰り返すようになった。朝顔の写真を持って病院に通ったものの、所詮、川の流れに逆らうようなもので、目に見えて弱っていった。
そして、ついに八月の朝、眠るように息を引き取った。
残された私は、抜け殻同然となり、ただ毎朝、朝顔に水をやり続けることしかできなかった。そして、虚ろな思いを埋められないまま月日だけが過ぎて行った。それでも濃い青紫色の花を見ると、その時だけは母と繋がったような心地がしたのだ。
ところが、その残された朝顔にも異変が起きた。
ある朝、水やりをしようと鉢の前に立つと、なんと、一輪も朝顔の花が咲いていない。しかも、葉っぱも蕾も花もない、いわゆる丸坊主になっているのだ。おかしい、こんなことがあるのだろうか?一度、部屋に戻って落ち着こうとするが納得がいかず、もう一度、朝顔を見に行く。すると地面に小さな黒い粒がたくさん落ちている。虫のフン? そう思って朝顔のツルを注意深く見ると、いたのである、五センチもある青虫が。
「うわぁーっ」と朝から大きな悲鳴をあげ、一目散に家の中に駆け込む。しかし、こうしている場合じゃない、何とかしなければと思い返し、ハサミとチラシを持って再び朝顔の前に立つ。勇気を振り絞って青虫を睨みつけ、ハサミでつついてやった。それでも、しぶとくツルから離れようとしない青虫に、心の底から怒りが湧き起こり、ハサミを持つ手に一層力が入った。その後、青虫は葉っぱと一緒に切り取られてしまったのだが。
気付けば私は泣いていて「朝顔まで奪わないで」と思いっきり叫んでいた。こんなにも強い怒りが、私のどこにあったのだろう。
考えてみれば、母が亡くなった後、私は泣くこともできず、ただ朝顔の花に水をやることで生きながらえた。
もしかすると、そんな私を心配した母が、何とかして奮い立たせようと、天から青虫を遣わしてよこしたのではなかろうかと考えてみたりする。
朝顔の再生力は目覚ましくその後、ぐんぐんツルを伸ばし再びいっぱい花を咲かせた。そして長方形の窓を見上げると、そこには恥ずかしそうに顔を覗かせる朝顔の花が。
「大丈夫、大丈夫」と笑って母が見ているようで思わず涙が頬を流れた。