受講生の作品
受講生の作品
彼との待ち合わせ時間よりも十五分も早くついてしまった。この時間の駅前のロータリーは会社や学校帰りの人たちで混雑していた。ぼんやりと辺りを眺めている時、人ごみの中に小柄な年配の女性がうろついているのを見つけた。先ほどから駅前を行ったり来たりしながら通行人に声をかけている。女性の身なりは全体的に薄汚れている感じで、浮浪者のようにみえた。声を掛けられた人はみな迷惑そうな顔で逃げるように去っていく。
寸借詐欺かな。昔、一度だけあったことがある。財布を落として家に帰れないから電車賃を貸してほしいという分かりやすいものだったので、当時の私も逃げるように立ち去ったのを思い出した。
その様子を観察していると振り向いた彼女と目が合ってしまった。やばいと思った時にはもう遅く、私に向かって歩いてきた。
「ティッシュをいただけませんか?」「へ?」私は拍子抜けした声で答えた。お金じゃないの? 思わず鞄からポケットティッシュを取り出し彼女に渡した。ティッシュくらいならみんなあげればいいのに、と心の中で思っていると「お礼にこれをあなたに差し上げます。でも使いすぎないでくださいね」といって何かを取り出した。
それは直径五センチ、長さは十二センチくらいの、排水管を細くして輪切りにしたような物体だった。指が抜けなくなるほど細くもなく、飲み込んで喉に詰まらせるほど小さくもない。なんだこれ? 尋ねようと顔を上げるとすでに彼女は目の前からいなくなっていた。
そのブルーの筒の使い方が気になりすぎてなぜか捨てられず持ち歩くようになった。気づけばカバンの中には、鍵、携帯、財布、そしてブルーの筒が常にいた。
毎日持ち歩いていると不思議なもので、愛着というか握った感じも手に馴染むようになってきた。手持ち無沙汰な時はブルーの筒を握っていた。そして握ったまま何気なく目に当てて望遠鏡のようにのぞいてみた。
不思議な違和感を感じた。
筒から見る景色は少しだけ違っていた。どこが違うのか分からないまま、私はその筒を自分の目にはめたり外したりして見比べた。
筒をのぞいていると、目の前の青空を右から左へ一機の飛行機が横切った。そして筒を外して見てみると、目の前を飛んでいるはずの飛行機は消えていた。私は訳がわからず、空をぼーっと眺めていた。その時、右の方から飛行機が飛んでくるのが見えた。
「え? なんで?」
すぐに筒からのぞいて景色を見てみると、飛行機はすでに左の空の向こうに行ってしまっていた。そしてまた筒を外し目の前の空を見上げると、まさに今目の前を飛行機は通り過ぎている。
混乱している頭で必死に考えた。そして時計を片手に景色を何度も見比べた。筒からの景色はどうやら三分後の世界が見えるようだ。私は驚いたがすぐに楽しくなりさまざまな場面で使ってみることにした。
私が最初に向かった場所は競馬場だった。競馬未経験の私はしばらく売り場の前で観察した。馬券は出走二分前まで買えるようだが、馬が走り終えるのに二分ほどかかるため三分後の世界では結果は分からなかった。それでも後半の景色は見えるのでそれを頼りに馬券を買ってみた。結果は、後半にものすごい勢いで走ってくる馬がいなければ当てることが出来た。週末は競馬場に通いお金は順調に増えていった。
次に始めたのは株だった。三分後に上がる株をネットで買い、それを下がる前に売る。それの繰り返しで私は資産をさらに増やした。たった三分後の世界が見えるだけで私の生活は劇的に変わっていった。ブルーの筒は私にはなくてはならないものになった。
ただ残念なこともあった。付き合ってちょうど一年になる彼を、別れ際に一度だけのぞいてみた。三分後の彼は『妻』という相手に携帯で電話をかけた。彼は結婚していた。
そんな中、偶然人ごみの中にあの女性の姿をみつけた。
私は急いで追いかけ声を掛けた。
「以前ブルーの筒をもらった者です。おかげさまで楽しく暮らしています。何かお礼がしたくてあなたを探してたんです」
すると彼女は
「一日、二回までの約束は守っていただいていますか?」
と言った。
え? 聞いてないけど。
「使いすぎるとその分あなたの時間が少なくなります」
そう言うと彼女はまた消えた。
どういうこと? 恐る恐る再び筒を覗いた。そこには
ショーウインドに映った自分が真っ青な顔で倒れていく姿があった。