受講生の作品
受講生の作品
ここに一枚のマフラーがある。中学生時代、恩師の誕生日に私が贈ったプレゼントだ。
三年生の時、私は一時期非行に走り、大きく道を外しかけた。親や先生の目を盗んで授業を抜け出したり、深夜徘徊をしたり、心がすさんでいた。思春期特有の世の中に対する反抗心と言えば簡単だが、当時の私は、沸き起こる苛立ちを抑えることが出来なかった。何かを壊したい、とうとう私はその衝動を家出という形で表現してしまった。
「お世話になりました。探さないで下さい」翌日に自分の誕生日を控えた六月の雨の日、私は短い手紙を残し、家を出た。行き先は大阪。唯一、行く方法を知る都会だった。予め住み込みで働ける場所を探し、そこに転がり込もうと考えていた。今思えば、無謀で稚拙な計画だが、当時の私は大真面目だった。
仕事から帰った両親は、私の手紙を見て、すぐに学校と警察に知らせた。帰宅していた先生も学校に戻り、思い当たる場所を手当たり次第に探して下さったそうだ。皆が血相を変えて探している中、私は大阪行の船に乗るため、順調に港に到着した。大きなリュックサックを背負い、タクシーを降りると、はやる気持ちでチケット売り場に直行した。
私の家出劇はここまでだった。チケット売り場で待機していた警察に保護されたからだ。警察署の個室で両親の迎えを待っていた時の、暗澹たる気持ちはそれまでに味わったことの無いものだった。
翌日、私は父と学校に登校した。眠れない夜を過ごし、目を真っ赤に腫らした私を見て、先生は「おかえり」とだけ言った。父が頭を下げ、先生は更に深く頭を下げた。そんな二人の姿を見て、喉の奥がギュッと締め付けられ、苦しくなった。父は私を送り届け、学校を後にした。
進路室に私と先生の二人。私は黙ってうつむいていたが、先生の突き刺すような視線を感じ、身を固くした。
「独りで度胸あるなぁ。びっくりさせるなよ。また頭の毛が抜けるだろ」私が、ちらりと先生の頭に眼をやり、クスッと笑うのを見て、先生は続けた。
「でも、ほんまに肝が座っとるちゅうんは、人を驚かすこととちゃうで。人を安心させることじゃ。大事な人を心配させるんは、卑怯で、弱い人間のすることじゃ」私は両親の顔を思い出していた。精悍な父が涙を流すのを初めて見た。躾に厳しい母に初めて強く抱きしめられた。
「お前のことを信じとうけん。もう大丈夫じゃな。もうええ。教室に行きな」
「ごめんなさい」やっとの思いで搾り出した言葉だった。居た堪れなくなり、すぐに部屋を出ようとする私を、先生が呼び止めた。
「今日は誕生日だろ。十五歳おめでとう」出口に駆け寄った先生が手渡したのは一冊の絵本だった。相田みつをの『いのちいっぱい』。この絵本は、今も私の心の指針となっている。この一件以来、私は憑き物が落ちたように少しずつ自分を取り戻していった。先生との交流も深まり、進路や夢を話すまでになった。十二月の先生の誕生日、私は絵本のお礼に贈り物をしようと思い立った。あれこれ考え、マフラーを手作りすることにした。祖母に教わりながら、グリーンの毛糸で何とか完成させた。編み目が揃わず、見た目は決して良くないが初めて作ったマフラーだ。青色の包装紙に丁寧に包み、リボンを飾った。
誕生日の放課後、ドキドキしながら職員室に向かった。自分の机で一服している先生を入口に呼び出し、プレゼントを差し出した。「おぉ。学生からプレゼントもうたん、初めてじょ。ありがとうな。ほんまに嬉しいわ」先生は頬を赤くして、軽く私の頭を撫でた。
今年の春、友人から先生が病気で亡くなられたと知らされた。卒業以来会っていなかったが、先生の言葉はいつも、辛い時の私を励まし応援してくれた。訃報を知ってから、大切な心のピースを失った空虚感に押しつぶされそうな日々が続いた。
夏の終わり、先生の奥さんから手紙と共に小さな小包が贈られて来た。
「今年の三月、主人は七十二歳で逝きました。毎年冬になると、必ずこのマフラーを首に巻いて、あなたに貰ったと自慢していました。私が保管するより、あなたの手元にお持ち頂く方がきっと主人も喜ぶと思うのです。私達家族も、主人のことを時折思い出してくれる方がいると思うと慰めになります。あなたの重荷になるかと随分悩みましたが、どうぞ受け取って頂ければ幸いです」端正な字からは奥様の温和で誠実な人柄が溢れていた。私はマフラーを手に取った。我ながら、よくこんな不出来な代物を贈ったものだ。あの時、包みを手にして恥ずかしそうに肩をすくめる先生の姿が目に浮かんだ。マフラーを胸に抱くと、懐かしい匂いが鼻をかすめた。ふんわりと柔らかい先生の香りだ。