受講生の作品
受講生の作品
列車を降りると俺はトイレに向かった。
腕時計に目をやりながら一番奥の個室の前に来る。正午ちょうどと同時にドアが開く、俺は入れ替わるように中に入って後ろ手にドアをしめた。
便座の下、死角になっているところに手を入れ、油紙の包みを取り出し開ける。
まず、標的の写真とメモを視覚から脳内に焼き付けると細かく破り流す。
次に、リボルバーをつかむと、シリンダーをスライドさせ、六発の弾丸を装填して戻した。
『やるしかないんだ』
俺は、手にしている重いかたまりを懐にしまい込み、油紙を破りながら心のなかでつぶやいた。
レバーをまわし油紙が完全に流れたのを見届けるとドアを開ける。
手を洗わずに出ていく俺を、サラリーマンふうの男が怪訝な顔で見ていた。
改札を出て、メモで指示されたホテルへ向かおうとした時、女の甲高い悲鳴が耳をつき、俺は足をとめた。周囲がにわかにざわめき出す。
拳銃を持っていることをまわりの人間に気づかれたのかと思い、鼓動が早まったが、一瞬後、そんなはずはないと心を落ち着かせた。
ひとり、またひとり、次々とスマホを天に向け、かまえる。俺はその先を見た。
駅に隣接しているデパートの屋上に制服の人影が見える。女子高生、いや、中学生かもしれない。
柵を乗り越えると、一斉に人々がどよめく。群衆が、まるで、ひとつの得体の知れない化け物のように思えた。
『こいつらっ……』
俺は、内臓器官がせりあがってくるような胸くその悪さを感じた。
『翔ぶのを待ってやがる』
シャッター音、動画撮影の開始音、必死に文字を打ち込む音、音、音、音……
瀕死の獲物を前にする飢えた獣のような笑み。ごていねいに電話をかけ、実況しているヤツ。
天空の人影が右へ左へと、かげろうのように揺らめく。
数秒とも、何時間とも、永遠ともとれる時が刻まれてゆく。
「飛び降りねぇのかよ」
誰かの失望の声が聞こえた。
俺は、そいつの顔面にすべての弾丸をぶちこみたい思いにかられた。ふところに手を入れ、冷たいかたまりを強く握る。
俺の目の前に、あの日の光景が鮮明によみがえってくる。すべてが、世界が色を失ったあの瞬間が……
あの日、巡回から交番に戻った俺は、通報を受け、すぐに現場に駆け付けた。
中学校の屋上、柵の向こう側に立つ少女。
話をしながら、ゆっくり、ゆっくりと近づく、助けられる、命をつなぎ止められると思った。
だが、彼女は舞った。俺の伸ばした指先をすり抜けるように。
ひとりの少女の未来を救えなかった俺は、警察官でいることにたえられなくなり、光さす道からも離れた。
その時、再びどよめきが起こった。
視線を、また天に向ける。
『飛ぼうとしている』
少女の揺らめき、まるで、ろうそくの灯りが消えてしまう直前のような、それが、今、まさに跳躍しようとした時、轟音が空をつらぬく。
天空の人影が静止する。俺は、まるで、自分以外の人間の時が止まってしまったように感じた。
かかげた右手に力を込め、弾丸を次々と天に向け撃ちこんだ。撃鉄が空の薬きょうを打つ音がし、同時に屋上の少女が後方にへたり込む。
その時、俺は確かに見た。彼女の後ろに、今度はしっかりと、その命を両手でつかむ俺自身の姿を。
自分の周りに空間ができているのに気づく。止まっていた時が動き出し、ざわめきが起こり始める。右手を離れた冷たい鋼鉄が地面に落ち、にぶい音を立てた。
警官がこちらに走ってくるのが見える。
俺は、空を見上げ笑った。
色を失ってはいない、その抜けるような青空を。