受講生の作品
受講生の作品
うちの母は下町育ち、大阪のおばちゃんを地でいく人だ。自分の価値観が唯一無二だから、他人の気持ちなんぞ全くお構いなし。歯に衣を着せぬ物言いで、思いついたことは片端から口にする。
山形の造り酒屋の三男坊の父は、のんびりしていて忍耐強い。東北の人らしく、口数が少ない。滅多に声を出して笑うことがなく、冗談も言わない。ノリツッコミなどもっての外だ。
私が大学を卒業し、駆け出しの社会人になって間もない、ある夏の日、私たち三人はザルうどんだか、冷麺だかの、軽いお昼ご飯を食べた後、日曜日の暑い昼下がりをぼんやり過ごしていた。
父は庭に面した縁側に座布団を並べ、薄い下着にステテコ姿で、うたた寝をしていた。こもる熱気を避けるように、だらりと体を伸ばして、うつ伏せになっていたが、顔だけは私たちの方に向けながら、眠りこけていた。
母と私は、ちゃぶ台を挟んで向かい合い、食後のお茶をすすった。母は、柱にもたれかかりながら、縫い物か何かの手作業を始めた。
私は、頬杖をつきながら、勤め出したばかりの会社の人間関係の愚痴をこぼした。時は昭和の終わりかけ、初めて社会に出た私にとって、会社は女性差別の巣窟だった。
「何もあんな言い方することないと思うわ」
「このまま放っとかれへん」
憤る私の言葉に、母は相槌も打たず、ただ黙って、もくもくと手を動かしていた。
聞いているのかいないのか、全く反応がないので、私はイラつき、むきになって声を荒げた。
「絶対セクハラで訴えたる」
「こんなんが、まかり通ると思ったら大間違いやで」
ますます私は興奮して、なおも続けた。
「向こうがこう出たら、こっちはこう斬り返してやる」
「最悪、差し違える覚悟や」
戦国武将になりきった自作のシナリオに酔って、鼻息を荒くして息巻く私。
そこまできて、母がふいに手作業を止め、俯いていた顔を上げて一言、言い放った。
「お前は、ほんまに気が小さい」
敵陣に討ち入る覚悟で鼻を膨らましていた私は、出鼻をくじくセリフに、思わず絶句した。さっと気まずい沈黙が流れ、神経を逆撫でするような言い草に、一触即発。まさに母娘の大喧嘩が始まりそうになった。
その瞬間、視線に入った、父の床に押し付けられた口元が、静かにゆっくり、ニヤリと歪んだのが見えた。
「あ、お父さん、起きてる!」
とっさにそう叫んだ瞬間、父は床に顔を押し当てて、堰を切ったように声を殺して、大笑いを始めた。いつもは寡黙な父が、お笑い番組を観てもクスリとも言わない父が、足をバタバタさせて、ヒクヒクしながら、苦しそうにひいひい笑っている。
それを唖然と見ていた二人の目が、なんとなく合った。その瞬間、私たちの顔もゆっくり緩み、それから大爆笑。三人とも笑った、笑った、腹を抱えて笑った。どれくらい笑ったかしれない。でも、とにかく笑い転げた。
しごく些細な話だ。めちゃくちゃおもしろい話でも、オチがあるわけでもない。しかし、あれから三十年以上が経つのに、まだあの夏の日の風景が、くっきり心に残っている。思い出せば、今でも笑える。
私たちは、もうあの家には住んでいない。今の私には、肩に力が入っていない。経験を重ねて余裕が出てきたのか、或いは、もう新米社会人のような純情を持ち合わせていないのか、戦国武将になることはなくなった。
母はすっかり歳を取り、少し弱腰になった。大阪のおばちゃんであることは間違いないが、以前よりキレがなくなり、動きが緩慢になった。最近では、バッサリ人を斬り捨てることは滅多にない。
数年前に定年を迎えた父は、電車に乗ることもなくなり、ますます無口になった。定位置の椅子で、老眼鏡をかけ、数独をひとり考えあぐねている姿からは、あんな風に声を殺して爆笑する気配は感じられない。
令和の今日も三人、春夏秋冬、食卓を囲む。食べているものは、さほど変わらない。しかし、あの日と同じ笑いは起こらない。全員が同じだけ歳を取り、時代が流れた。テンポのない会話が途切れ途切れのまま、箸だけがゆるりと進む。
けれど、思い出せば、あの日のことは、いつでも笑えてしまう。最後に涙が出るのは、笑いすぎたからなのか、それとも戻らぬあの日にほろりとさせられるからなのか、定かではない。