受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 2021年度 エッセイ・ノンフィクション部門 最優秀賞受賞

高尾 光子 さん
文章・エッセイコース
35期生(2021年度)
性別:女性

ある夏の日の思い出

 うちの母は下町育ち、大阪のおばちゃんを地でいく人だ。自分の価値観が唯一無二だから、他人の気持ちなんぞ全くお構いなし。歯に衣を着せぬ物言いで、思いついたことは片端から口にする。

 山形の造り酒屋の三男坊の父は、のんびりしていて忍耐強い。東北の人らしく、口数が少ない。滅多に声を出して笑うことがなく、冗談も言わない。ノリツッコミなどもっての外だ。

 私が大学を卒業し、駆け出しの社会人になって間もない、ある夏の日、私たち三人はザルうどんだか、冷麺だかの、軽いお昼ご飯を食べた後、日曜日の暑い昼下がりをぼんやり過ごしていた。

 父は庭に面した縁側に座布団を並べ、薄い下着にステテコ姿で、うたた寝をしていた。こもる熱気を避けるように、だらりと体を伸ばして、うつ伏せになっていたが、顔だけは私たちの方に向けながら、眠りこけていた。

 母と私は、ちゃぶ台を挟んで向かい合い、食後のお茶をすすった。母は、柱にもたれかかりながら、縫い物か何かの手作業を始めた。

 私は、頬杖をつきながら、勤め出したばかりの会社の人間関係の愚痴をこぼした。時は昭和の終わりかけ、初めて社会に出た私にとって、会社は女性差別の巣窟だった。

「何もあんな言い方することないと思うわ」

「このまま放っとかれへん」

 憤る私の言葉に、母は相槌も打たず、ただ黙って、もくもくと手を動かしていた。

 聞いているのかいないのか、全く反応がないので、私はイラつき、むきになって声を荒げた。

「絶対セクハラで訴えたる」

「こんなんが、まかり通ると思ったら大間違いやで」

 ますます私は興奮して、なおも続けた。

「向こうがこう出たら、こっちはこう斬り返してやる」

「最悪、差し違える覚悟や」

 戦国武将になりきった自作のシナリオに酔って、鼻息を荒くして息巻く私。

 そこまできて、母がふいに手作業を止め、俯いていた顔を上げて一言、言い放った。

「お前は、ほんまに気が小さい」

 敵陣に討ち入る覚悟で鼻を膨らましていた私は、出鼻をくじくセリフに、思わず絶句した。さっと気まずい沈黙が流れ、神経を逆撫でするような言い草に、一触即発。まさに母娘の大喧嘩が始まりそうになった。

 その瞬間、視線に入った、父の床に押し付けられた口元が、静かにゆっくり、ニヤリと歪んだのが見えた。

「あ、お父さん、起きてる!」

 とっさにそう叫んだ瞬間、父は床に顔を押し当てて、堰を切ったように声を殺して、大笑いを始めた。いつもは寡黙な父が、お笑い番組を観てもクスリとも言わない父が、足をバタバタさせて、ヒクヒクしながら、苦しそうにひいひい笑っている。

 それを唖然と見ていた二人の目が、なんとなく合った。その瞬間、私たちの顔もゆっくり緩み、それから大爆笑。三人とも笑った、笑った、腹を抱えて笑った。どれくらい笑ったかしれない。でも、とにかく笑い転げた。

 しごく些細な話だ。めちゃくちゃおもしろい話でも、オチがあるわけでもない。しかし、あれから三十年以上が経つのに、まだあの夏の日の風景が、くっきり心に残っている。思い出せば、今でも笑える。

 私たちは、もうあの家には住んでいない。今の私には、肩に力が入っていない。経験を重ねて余裕が出てきたのか、或いは、もう新米社会人のような純情を持ち合わせていないのか、戦国武将になることはなくなった。

 母はすっかり歳を取り、少し弱腰になった。大阪のおばちゃんであることは間違いないが、以前よりキレがなくなり、動きが緩慢になった。最近では、バッサリ人を斬り捨てることは滅多にない。

 数年前に定年を迎えた父は、電車に乗ることもなくなり、ますます無口になった。定位置の椅子で、老眼鏡をかけ、数独をひとり考えあぐねている姿からは、あんな風に声を殺して爆笑する気配は感じられない。

 令和の今日も三人、春夏秋冬、食卓を囲む。食べているものは、さほど変わらない。しかし、あの日と同じ笑いは起こらない。全員が同じだけ歳を取り、時代が流れた。テンポのない会話が途切れ途切れのまま、箸だけがゆるりと進む。

 けれど、思い出せば、あの日のことは、いつでも笑えてしまう。最後に涙が出るのは、笑いすぎたからなのか、それとも戻らぬあの日にほろりとさせられるからなのか、定かではない。

【選 評】

  • どうってことのない日常の一コマを見事に切り取っていました。父、母、自分のキャラクターがよくわかり、大笑いした場面が映像として浮かんできました。描写力があります!読み終えると、「家族ってやっぱりええなあ」と思わしめるところが素晴らしかった。心がほんわかしました。

 

  • いろんな感情が生じた、豊かなキャラクターの家族が面白い。

 

  • 昭和の時代、終り頃の一般家庭の様子が三人の登場人物を通して的確に伝わってきました。

 

  • 起(導入)で家族三人三様の性格を描き、承でその性格を踏まえての読みやすい会話文を入れての展開。転で父親の思わぬリアクションに一瞬唖然として動きの止まる娘と母親。寡黙な父親の信じられない爆笑に、娘の職場のグチを縫物をしながら聞き流していた母と娘の日常の一コマは破られる。結(余韻)でその思い出は家族の貴重な一ページとなったことを読者は知らされ心温かく読み終える。いい作品です。
作品種類
心斎橋大学ラジオシアター放送作
作品集「炎心」コンクール受賞作
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
脚本(ラジオ)
ノンフィクション
小説
エッセイ
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