受講生の作品
受講生の作品
「来年の春、久子さまと結婚しようと思ってるんだ」
昨年の夏の初めに息子がそう言った時、こみ上げてくる喜びとともに、相手の女性にしてあげたいこと、一緒に行ってみたいお店や旅先までもが次々と浮かんだ。
「あぁ、いけない。押しつけがましい姑になってしまう」
自分にそう頻繁に言い聞かせなければならないほど、昭和の頃を思わせる名まえを持った、自分の意見を強く言わない、控えめに過ぎる彼女をかまいたい気持ちは抑えがた
かった。
「今時の名まえじゃないのがいいね。きっとご両親も堅実で真面目な方たちなんだろう」と夫も繰り返した。
皇室の方と同じ名まえなので、夫と息子が半分ふざけて「様」をつけて呼んでいるうちに、親戚一同までもが、彼女の話をする時には「様」をつけるようになったことが、彼女を大切に思っている証のようで嬉しくもあった。
だから、息子が先方に挨拶に行った直後に、この結婚を白紙に戻す可能性が生まれた時、私はうろたえた。
もう婚約指輪も一緒に探しているほど確かな関係のはずなのに、息子の気持ちは揺らぎ始めている。話し合って言葉を重ねるほどに、二人のあいだに入った亀裂は、修復不
能であることを決定的にしていく。彼女はすでに仕事を辞めることにしていて、職場では同僚たちが毎日のように祝福の言葉を投げかけてくれる。
それはそのまま、私が若い日に経験した苦い思い出の一片でもあった。あの、手の置き場もわからないほど辛かった日々を、今、息子の婚約者が過ごしていることに、私は自分の身に起こったことと分けられないほど、落ち着きを失った。
その頃、おかしなことに私は、自分が婚約後に別れた男性のことではなく、その人の両親のことをしきりと思い出して仕方なかった。当時は「彼の両親」という脇役でしかなかった二人のことが、急にくっきりと鮮やかな色彩を帯びて、私の頭の中に現れ続けたのだ。
私たちの結婚の約束が壊れかけた時、私は何も言ってくれない彼の両親に対して、恨みにも似た気持ちを抱いていた。私の味方をしてくれたっていいのに。彼にもう一度考え直すように助言してくれてもいいのでは? 家族のように親しくなっていると思っていたのは、私だけだったのだ。彼らの沈黙は、私をさらに打ちのめした。
けれど、今回私の胸に去来し続けたのは、そんなことではなかった。彼との日々の中で、気にも留めることなく、どこかにまぎれこんでしまっていた両親たちの記憶だった。
彼の母親にもらった手紙の丁寧な文字。顔いっぱいに汗をかき、駅まで追いかけてきて渡してくれた手作りの人形。
「もうお腹いっぱい」と言っても桃の皮をむき続ける濡れた手。車で家まで送ってくれた日の彼の父親との何気ない会話。門を出るまで足元を照らしてくれた懐中電灯のゆら
ゆらと揺れていた光。そして、二人が私の名まえを「ちゃん」づけで呼ぶ時の親密なあたたかさ。
私は彼の両親に大切にされていたのだ。映画の中に隠されていたメッセージに、ずっと後になって気づいた時のように、悲しかったストーリーは書き換えられた。
「小さい頃から試験の成績が悪いと、いつも母に殴られたり、蹴られたりしていました。だから、今でも私は母に逆らうことができないんです」
最後に息子の婚約者と会った暑い日、彼女は蝉時雨と競うように、張りのある声でそう言った。相手のご両親は、結婚を許可することと引き換えに、息子だけにではなく、我が家の家業に対してもいくつかの要望を示した。それは、息子や私たちにとっては到底受け入れることのできない条件であり、結婚に至るためには彼女が両親を説得するより他、手立てがなかった。
彼女はやっと、最初で最後の悲しい打ち明け話をしたのだった。私は思わず彼女を抱き締めた。もうほとんど私の娘だったのだ。
彼女と同じ名をテレビや新聞の中に見つける。これまでは、ただの記号でしかなかったのに、今は違う。それは私たち家族がたしかに愛した一人の女性の名まえだ。おそらく、私たちがその名を口にすることはもうないだろう。それでもこの名まえに触れるたび、私はこれからも痛みとともに彼女のことを思い出さずにはいられないはずだ。
彼女に起こった出来事が、幸せのプロローグとして書き換えられることを願いながら。