受講生の作品

作品集「炎心」コンクール 2022年度 エッセイ・ノンフィクション部門 奨励賞受賞

西川 美子 さん
大学院
34期生(2020年度)
性別:女性

有馬温泉行きバス

 阪急宝塚駅前から有馬温泉行きのバスが、JR側のバス停から発車する。毎朝ここから、私の通勤の一日が始まる。
 町中に行かないため、バスには殆ど乗客がいない。いつもの数人がチラホラ座っている。
 冬の初めのバスの中は、ゆったりと心地よく、暖かい空気が流れていた。発車時間が来たのか、運転手は、エンジンをかけ始めた。
 その時、二人連れの中高年男性が、慌ててバスに乗り込んできた。
「おう、間に合った」
「先輩、どこに座りましょ」
「後ろに行こか」
 二人が、よろけて座るとバスは、動いた。
「いや~こんな朝早くにお誘い有難うございます」
「気にすることあれへんで」
 二人は、学生時代の先輩と後輩らしかった。先輩は、背が低く小太りで柔和な雰囲気。後輩は、落ち着きなく、ソワソワしていた。
「私もこの間、役所を定年退職しまして、暇で暇で」と後輩が言った。
「そう思って、思い出したんや」
「有難うございます。先輩は、よく行くんですか有馬に」
「そや、気持ちええで。朝から温泉に入るのは最高やで」
「今日は、楽しみです」
「近所の連中も連れていくで。みんな喜んでくれてる」
「そうですか。先輩の奥さんも一緒に行くんですか」
「五年前に亡くなってしもてな、わし一人でいってんねん」
「それは、それは」
「気にすることあれへんで。気楽なもんや」

 バスは、大きな交差点で信号待ちをした。
「ああこの道、先輩と遠征に行った時、何回か通ったのと違いますか」
「よう覚えてんな、昔のこと」
「そら昔は、先輩怖かったですもん。卓球部は、特にね。遠征言うたら、荷物が多かったです」
「そうやったかな」
「そうでしたよ。先輩、今は仕事しているのですか」
「わしか。朝起きて、ご飯食べて、洗濯してから、アルバイトに行ってる。警備の仕事や」
「大変なお仕事ですね」
「それほどでもない。ほら、もうすぐ名塩や。知ってるか。ここでお札作っとったんやで。こんな山の中で、信じられへんやろ」
 先輩は、後輩に色々教えていた。後輩は、ふんふんと聞いていたけど、何でも知っているようで先輩は、それには、気付いていないようだった。
 二人の会話は、ぎこちなく続いていたけれど、後方からの声は面白かった。それから、間もなく私の降りるバス停に到着した。名残り惜しい気持ちだった。
 

 その日の朝のバスは、宝塚で混んでいた。珍しい事があるものだと乗り込むと、
「ん」
 この声は、先輩?座席の真ん中辺りで、ぶっきらぼうで、温かみのある先輩がいた。今日は、ご近所の人か友達かわからない、中高年の男女八人が、遠足さながらワイワイ騒
いでいた。中心は、先輩で、何やかや世話を焼いている。前に一緒だった後輩はいない。
 先輩は、楽しそうだ。あの日の温泉行きは、どうだったのだろう。経済的に余裕のある市役所を定年退職した後輩と、気のいい先輩。温泉につかりながら、先輩と後輩を演じていたんだろうな。今は、何て生き生きしているのだろう。賑やかな、おじ様とおば様を乗せたバスは、発車した。

 その後、先輩達と遭遇することはなかったし、すっかり、忘れていた。梅雨明けした暑い日、まだ朝だというのにバスの中は、日差しが強かった。一人掛けの座席にすわると、まともに陽を受ける。立ち上がって日除けのシェードを下ろそうとした。中々手が届かなくて、思わずピョンピョン飛び跳ねてしまった。手が届いたと思ったら、シェードは、くるくると元の所に戻ってしまう。そんなことを繰り返していると、後ろからサッと手が伸びてシェードを下ろしてくれた。振り向くと、先輩だった。
「大丈夫やで」そうそう、この声だ。(先輩、有難う。太ったどこにでもいるおっちゃんだけど、本当に親切)
 先輩は、一番後の席に座った。今日は、一人だった。私、知っているんですよ。温泉に行くんでしょ。先輩となら、一緒に行きますよ。会社も休みますよ。そう言ったら、先輩ビックリするやろね。笑いをこらえながら想像してみた。
 バスは、静かに発車した。

【選 評】

  • 会話の多用が気になるものの、それを帳消しにする、ほのぼのとした後味の良さを買いたい。先輩の愛すべき人物像が明瞭に浮かぶ。

 

  • 移ろう季節の中を走り続けるバスの、ゆったりとした空気感が温かな湯気のようにじんわりと伝わってくる作品でした。大阪弁のセリフが登場する作品は数多くありましたが、この作品で描かれる登場人物たちの会話が一番効果的で活き活きとしているように感じました。そして何よりそんな賑やかな「おじ様」「おば様」たちの会話に日々耳を傾けている筆者の心の視線がなんとも微笑ましく、こちらまでほっこりとする思いがいたしました。

 

  • 日常のひとこまをうまくとらえた作品。ほんのりと漂う暖かさに好感を持った。

 

  • ありふれた人物との小さな出会いと偶然。人物を見るあたたかい眼差しを感じます。

 

  • 変化のない状況からイメージを膨らませる視点が良い、楽しい。

 

作品種類
心斎橋大学ラジオシアター放送作
作品集「炎心」コンクール受賞作
作詞修了作品コンクール
公募受賞作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
作詞
脚本(ラジオ)
ノンフィクション
小説
エッセイ
  • 心斎橋大学の一年
  • 受講生の作品

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