小説家、放送作家、脚本家、児童文学作家、絵本作家、構成作家の養成スクール、大阪南船場の心斎橋大学へ。

心斎橋大学 生徒作品(授業課題)

「400字のデッサンと4000字の短編集によせて」

 心斎橋大学という、藤本義一氏総長の作家養成スクールで講師をさせて頂き6年がたった。その間、大学院コースというクラスを与えられた。小説という道なきみちをどう示していけばよいのか。個性豊かな面々を前に、とまどうこともあった。こうでないといけない、これが絶対だという世界でもない。多様化する現代にあっては、より表現の幅が広がっているのも事実だ。また、小説を書くための安易なメソッドなどありはしない。
 それでも、非力なりに独自のスタイルを模索してきた。私自身もこれでよし、と思った作品もない。次こそ、次はと、表現者であることは、実に苛酷な作業でもある。講師という仕事を与えられ、真摯な瞳にどう指導していくのか。皆の書きたいという情熱が伝わってくる。金銭的負担を与えず、短編小説の発表の場はないか。未完でも発表させてあげたいとの思いが膨らんだ。そこで、新しい院のクラスには、制約を設けることにした。川端の「掌の小説」から、「ありがとう」「カナリア」「月下美人」。この中のタイトルを1つ使い、400字以内で書くこと。無謀ともいえる試みだが、皆それぞれに頑張った。巨匠の胸板をかりることで、小説世界の仕組みに触れてもらえたらと思ったのが、期せずして限定される世界での収穫があった。

 また、従来の大学院コースには、10枚という制約で自由題とした。こちらは、100枚以上書きたい人が多い。が、絵に例えると、100号でなく10号のキャンバスを使ってもらった。小品ということではなく、アングルを変えることによって、大きな作品世界の断片を切り取る作業を会得してほしい、との思いからだ。
 成功したとは思っていない。まずはタイトルに向け世界を集約する、というオーソドキシィを提示したから、作品を完結するということに重きがでた。初回はこれにてよし、と、考えている。いままでの、彼らの試行錯誤の過程を私はよく知っているからだ。
 作品というのは1つの結果だ。実は作家はそのプロセスで多くを学ぶ。評価されるのが結果のみであっても、その過程で多くのことを考える。一見、仕事は自己完結しているようだが、実は自己を開いていくことも余儀なくされる。そこに、作家としての力量もでる。
 趣味であれ、プロを目ざすにつけ、それは早くに気づいた方が小説の世界で生きることが楽になると、私は思うようになった。
 「賞をとりましょう」というコースを持ちつつ、私はこの道に促成栽培がないことをよく知っている。ピアノならバイエル、バレエならバーレッスン、油絵でもクロッキーから始めるのが常だ。が、小説においては、なぜか習作の時期をもたずしてプロになろうと思う人が多い。読書量はいわずもがな、鋭い感性、固有のフィルター、独自の作品世界、多くのものが加味され、ほんの一握りがプロとして活躍する。
 だが、だれ人も継続と努力はできる。続けることだ。この道で10年精進してくれというと、ある人は、すぐに賞がとれないのかと問う。また、なかなか賞がとれない、と溜息をつく。どれだけの時間を費やしたから、これだけの成果があるという世界でもない。
実に不確実な芸術だ。労力に必ずしも報いがあるともいえない。それでも、書く。書いていってほしい。いや、書き続けるのだ。自身にも言い聞かせる日々である。

 人生の喜びも哀しみも、たった1枚の紙と、1本の筆で表現できる。
 400字のデッサンと4000字の作品群から、何かを感じてもらえれば幸いだ。

平成23年2月 金真須美



生徒作品 400字デッサン 作品リスト


生徒作品 4000字短編 作品リスト




生徒作品(400字デッサン)

 「カナリア」 赤城真理子

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 罪ある者と、自分だけの愛しい者とを、同じく檻に閉じ込めるのは、人間のどういった心理なのでしょうか。どちらも、他人に触れさせたくないという点で共通しているからですか。それとも、愛されているというのは、私の錯覚に過ぎないのでしょうか。
 貴方の気持ちを少しでも解ろうと、この黄色いカナリアを飼い始めたのです。名前を付け、可愛らしい鳥かごに入れて、毎日餌も与え、日ごと愛着が深まってくるようです。彼女には私しかいません。私がいないと、生きていかれない、弱いからこそ愛しい存在…貴方にとっての私と同じに見えます。彼女も、私が籠の前まで行くと、歌を歌って歓迎してくれるのですよ。
 外の世界はあんなに広く、美しいけれど、出しては死んでしまいます。愛ゆえに、彼女は空の青さも知らないまま、私の手の中で死なせるのです。
 ねえきっと、カナリアは幸せですわね。

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 「月下美人」 河野尚吾

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 口内の張りついたような、苦々しいアルコール感が、不快を更に加速させる。気晴らしに飲んだ酒がこうなるとは思わなかった。
 初夏に女の上司が異動して来た。その際に、色白の美人と浮かれていた、自身が恨めしい。
 ――何が上司だ。出来る女だ――
 難しい仕事を無責任に投げ渡す癖に、部下の小さなミスを逃さず見つけて、徹底的に詰り、謗る。金切り声がまだ耳奥に残っている。
 冷たい風が吹いていた。秋の初めの深夜帯。月のない夜空の下を、身を窄めて惨めに歩く。
 向かいの信号機が赤を指した。足を止めて面を上げる。視界に違和感を覚えた。赤の色に染められながら、ぼやりと浮かぶ塊があった。凝らして視てみると、一輪の白い花だった。
 ――月下美人か――
 細枝に首を垂らしながらも、ようやく花咲いている姿に、女の美しい縊死の形が見えたような気がした。
 ――まったく、悪趣味なことで――。
 唇から温い息が漏れた。足取りは少し軽い。

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 「カナリア」 黒田美子

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 いくつの時からか忘れてしまったが、私の家には一羽のカナリアを飼っていた。近くに小鳥やさんがあり、父が買ってきたのだ。上等の卵の黄身の色をしていた。どうしてつがいで飼わなかったのか分からない。陽気なカナリアで、いつもいい声で鳴いていた。
 お得意の芸は爪楊枝をくわえることだった。その頃テレビで木枯らし紋次郎という時代劇をやっていて、主人公が長い爪楊枝をくわえていたのを、真似させようと父が教えたのである。何度もやっているうちに五分や十分はくわえることが出来るようになった。
 カナリアは十二、三年生きていた。カナリアが死んでしばらくしてから私は声が出なくなった。声帯ポリープとかで、出てくる声はかすれ、しわがれていた。
 そして何十年。話す声、笑う声には不自由しないが、歌は歌えないままだ。今はもう自分がどんな声で歌っていたのかも忘れてしまった。あのカナリアの声は覚えているのだが。

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 「カナリヤ」 小山和子

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 私が可愛がっていたカナリヤを、妻が逃がしてしまった。本当に不注意だったのか。疑う気持ちが起こるのは、先日、彼女が友人との電話の中で「私はカゴの鳥」と言うのを聞いてしまったからだ。三十年連れ添っていても、相手の心の奥底など、わからないものだ。
 ふと気がつくと、二階のベランダに踏み台を置いて、妻が手すりから身を乗り出している。青菜を握った手が、庭木の枝先にとまった、カナリヤの方に伸ばされていた。
「危ないだろう! 落ちたらどうする」私が妻の手を引くと、彼女は振り向いて驚いた顔をした。カナリヤは飛んで行ってしまった。
「あなたは、私よりカナリヤが大事と思っていました」はにかむように笑う、その表情を、久しぶりに見た気がする。
「・・・バカが。そんなわけ、ないだろう」
 たぶん、妻も知っている。カナリヤは外では生きられない。カナリヤは、また、帰って来るだろうか。

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 「カナリヤ」 冷水倫子

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 私は子供の頃から美しい物が好きだった。最初に夢中になったのはビーズ。母に買って貰った何色ものビーズを糸で繋ぎ、指輪やブレスレットを作った。
 その次はまっ白い子犬に夢中になった。コロコロと太った子犬は、やがて薄汚れた老犬となり私は興味を失った。
 学生時代は端正な顔の巻き毛のスターにあこがれて追っかけまわした。巻き毛だけスターに似た男と恋に落ち結婚した。
 結婚に失敗し一人暮らしをはじめてからカナリヤを飼った。美しいさえずりを聞きたくて。毎日カナリヤを眺め鳴いてくれるのを待っていた。カナリヤが鳴いてくれたら美しい未来が開けるような気がした。
 ある朝カナリヤが鳥かごの隅で冷たくなっていた。私は生まれて初めて大声で泣いた。もう美しいものを追いかけるのはやめにしようと思った。その時、外でカナリヤの鳴き声が聞こえた。私はゆっくりと扉を開け光の中へ歩き出した。

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 「ありがとう」 土肥幹子

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 近くのスーパーに、三才くらいの男の子が母親と買い物に来ていた。
 レジを済ませた食料品の袋詰めが、どの作業台でも坦々と進められている。
 同じように忙しく動く母親の手を、じっと見つめていたその小さな男の子に、母親が、カラになった自分のカゴを渡して、
「今、これと同じカゴを片付けてくれてるおじちゃんに、これもお願いしますって返して来て」
 と言って、その子の背中を押した。
 男の子は、母親の言われた通りにしてから、嬉しそうな顔をして帰って来た。
 その時の母親の言葉を、私はいつまでも忘れないだろうと思う。
「よかったねぇ。ありがとうって言ってもらったねぇ」
 お菓子や物でなく、「ありがとう」をご褒美だと思えるこの親子の心。美しい景色を見るような、爽やかな感慨に満ちた一時だった。

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 「月下美人」 はっとりやすこ

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 盆栽教室で「月下美人が咲きました」と報告したのは伸江である。一座はさまざまなさんざめきで、潔い花は形状や匂いの話で華やいだ。一夜の驚嘆を残して消え去る神秘。
 伸江の隣に勘が居る事は解かっていたけれど、声に意識を取られていた、と言うのが正しい。
 始めはウロウロと、していた彼は、やがて意味もなく樹形を直し、鉢土を何度も入れ替えたりと、一人芝居を演じていた。気づいた伸江が、振り返ってみると厳しい目とであった。
 今朝、教室の入口で「途中からエスケープ」の提案を聞いていたのである。お互いに家庭があり、分別あるオトナであればこの種の誘いにどこまで従えばいいのか。オンナの側は、積極的にはなれない。それぐらいは解かるでしょう、と彼女は強引さをたしなめている。
 開ききらない花に隠された謎、ひと夜だけの微笑み、儚さ、脳裏に刻まれる濃密な香り。あなたの胸に、花の好きなオンナが居た、と覚えて下さるだけでいいの。お花の不思議な魅力に酔いましょう、と伸江は視線を送ってつぶやいた。

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 「月下美人」 弘田紀子

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 大阪の郊外の羽曳野市に住む雪子は、両親と三人で住んでいる。兄弟姉妹はすでに独立し、残っているのは雪子だけとなっていた。
 家は二軒並んだ奥の方で,小さな門を入ると坪庭となっている。雪子の父は盆栽が好きで、所狭しと鉢植えでいっぱいである。
 その中に、大きく育った月下美人があり、父と母、雪子の三人は花がいつ咲くのかと楽しみにしていた。
 月下美人はサボテン科で多肉質で棘がある。
花は白色で大きく、二十センチ以上もあるものだ。不思議な花で肉質から唐突な感じで花が咲く。名前のごとく夜に咲き、翌朝にはすぐに萎んでしまう。一晩花である。花を楽しむ刻は本当に限られる。
 玄関に月下美人の鉢を入れて、三人はいまか今かと、その時を待っていた。
 少しづつ大輪の白が、咲き始めたのを眺めながら、その匂いにも圧倒された。
 今年も出会えたと雪子は両親と共に喜んだ。

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 「金糸雀(カナリヤ)」 横山秀一

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 大人たちに混じって、十四才のマークは今日初めて坑内に入る。エレベーターの中で、持たされた鳥かごを不安そうにじっと見ていた。三羽のカナリヤは地上の光がなくなってからも、楽しげに囀っている。しかし、カナリヤは濁った空気では生きられない。鳴き声が止んだとき、自らの死をもって人に危険を知らせる役目を負っている。
 地底に着くと、坑夫長の指示で、鳥かごは新しい斜坑に置いた。そして、足場に何度もつまずきながら慣れない作業に没頭した。
 そのとき、遠くの方から震動が伝わり、続いてけたたましく警報が鳴った。「落盤だ、二十三番鉱区らしい!」と誰かが叫んだ。騒然とする坑内。立ちすくんだマークに、不意に母の笑顔が浮かんできた。その黄色いエプロン姿に、カナリヤが重なった。急いで鳥かごに駆け寄り、扉を開ける。飛び出してきたカナリヤに、マークは我に返った。逃げなければ、生き残るのだ。今日からまた、闘いが始まる。

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生徒作品(4000字短編)

 「平野の風」 小川瑛子

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 大阪の東南部にある「平野」は中世から綿作で栄え、環濠集落で自治都市としての誇りも高い下町だ。いびつな南瓜型の地域を濠で囲んだあとが残り、十三ヶ所の出入口に安全を託したお地蔵さんが今もおられる。
 黒光りした格子が一階の表にめぐらされ、中二階に「虫籠窓」のある古い町屋が残っている。
 私は昭和十六年にこの町に生まれ、明治四十五年、父も平野で生を受けた。一人息子で名は「光圀」曽祖母の遺言で「黄門様」と同じ名を持ち、誰でも「へーっ」と言って一度で名を憶える。
 父は九十s、一七二pのがっちりした体格で、脚は短いが胸板が厚い。福耳で、丸い眼鏡が巾広の鼻にのっかっている。
 鉄棒の大車輪を軽々とこなした祖父と、油絵が得意だった祖母の血を受けたのか、馬術、スケート、油絵に秀でていた。
 古い八ミリで、障害物を飛び越える馬上姿や、凍った湖でスケート靴をはき回転している映像を見て、すごいやんと思った。
 祖母が跡をつけて、嫁にと懇願した母、欣子のデッサンが何枚も残っている。
母は稀にみる正統派の美人で、背も高く、会った人は皆一様に「こんなきれいな人、いたはるのや」
と、驚くほどだった。
 父は嬉しくて、まめに絵筆を握ったのだろう。
 第二次大戦で軍医として父が満州にいる時、私が誕生し、母は二〇才で母親になった。
 父は遙か遠くの埃っぽい大地から、第一子の男名と女名の二つを送ってきていた。
 
 終戦後、祖父母を立て続けに亡くし、大学に残りたかった父だが、やむなく祖父の医院を継ぐ事になった。
 祖父の代からのスタッフ二名は通いで、新しく三六才の助産婦さん、二一才のナースが我家に同居を始めた。
 父は元来、産婦人科の二代目だが、当時の開業医は内科も小児科も診るのが常で、顎のはずれた人、ひきつけの赤ん坊、重症の便秘の人と多種多様な患者さんが来院した。
 医家を示す赤い外燈を吊した玄関の戸を開けて一段あがると、畳の待合い。年中、何故か大きな藍色の火鉢があり、バレエ教室にありそうな巨大な鏡がかかっていた。
「ただいま」
 私は学校から帰ると、待合の患者さん達の間を縫って素早く奧の間に入る。何となく、気恥ずかしいのだ。
 ある日、「じょうちゃん」と声がかかった。五分刈りのいかつい男性が、着物姿で胡座をかき、膝に大きな包みを置いている。
 村上の恒さんだ。黒い髪と白髪が混じりあい、やせぎすで頬に縦じわがよっている。
 手招きされて側に行くと、包みを開けた。
―ぎゃ―
 ぐったりした鳥がでてきた。
「雉子でっせ。鉄砲でしとめましてん。先生に食べてもらおうと思って・・・じょうちゃんもおあがりや」
 周りの患者さんもこわごわ覗いている。
 虫籠窓のある古い町屋に住む五十才の恒さんは、背中に入れ墨のある、元(モト)やくざの親分で、一年前、父と激しい口げんかをした。
 以来、
「先生、医者にしとくの惜しい。ええ男やで」
 と、すっかりファンになっていた。

 母が「まあまあ、すみませんねぇ」と待合に出てきて、包みを恐る恐る受け取り、私の背中を押した。
「恒さんの娘さんがおめでたで、奥さん、亡くなっていたはらへんので、検診に付き添ってきたはるの」
 と、母は囁いた。

 平野の人は、七月十一日から始まる氏神様の夏祭りをこよなく愛している。
素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祭神の杭全(クマタ)神社は千百年の歴史を持つこの辺りの聖地だ。
 その祭りの始まる日の何時間か前の真夜中母が私の寝室に突然やってきて、
「起きて起きて。恒さんの娘さんが産気付いてきはった。病室一杯やから、ここ空けて、書斎に布団運んで。早く早く」
 と、追い立てる。
 私は夢うつつに身を起こし、ぼおっとした顔で布団を運ぼうとするけれど、手に力が入らず、ドテーンと落とす。顎と胸で挟んで落ちないように、ヨロヨロ廊下を渡る。
 やっとこさで書斎に辿り着き、布団を落として倒れこんだ。

 翌朝、目がさめ、病室になった襖越しに、
「いたーい、もういや」
 産婦さんの絶叫する声が聞こえてきた。
「今が大事。それ、うーん、うーん、がんばって」
 と、父の大声が聞こえる。
「ハイ、ソラソラ、ウーン、ウーン」
 助産婦さんも負けじと、節(フシ)をつけてきばっている。
「ぎゃー」
と、妊婦さん。
「大声だしたら気張る力入らんよ、口を閉じて、へその下に向かって、ほれ、力んで力んで。うーん」
 母もソプラノで応援する。

 何分位たっただろうか
 突然「おぎゃーおぎゃー」と勢いのある産声が聞こえた。
「おめでとうございます。坊やです。お手柄です。ようがんばった、よう、がんばった」
 助産婦さんの声がうわずっている。
 父も、
「よしよし、いい子だ」
 と、声が弾む。
「さあさあ、赤ちゃん、お風呂に入れましょう」
 の母の声に
「ウワーン」
と、産婦さんの嬉し泣きの声が響いた。
 夜の布団運びで、寝不足で気嫌の悪かった私も少しは役に立った気がして、じわーっと喜びが湧いてきた。

 あくる日、恒さんが鹿肉を新聞紙にくるんで大ニコニコでやってきた。
「先生、奥さん、お産婆さん、ありがとさんでした。ええ孫じゃ。わし、じいちゃんですがな。平野の祭りの日に、嬉しいこっちゃ」
 恒さんを皆でかこみ、笑い声が絶えない。
 祭り囃子が風に乗って聞こえてきた。
 本祭りの日は休診だ。
 風呂屋も薬局も「本日終了」の札を玄関に下げている。
「始まりましたな」
「晴れてよろしましたな」
 人々は口々に言いながら、山車(ダンジリ)が気になり窓の外を窺う。
 平野には九台の山車があり、三百年前から祭りの華になっている。
 私達の地域の「流(ナガレ)」の山車は、牛若丸、弁慶、八岐のおろちが彫られ、ぐるりに真赤な小さいぼんぼりが揺れる。
 揃いの半被、地下足袋の世話人が白い提灯を持って走り回る。山車を動かす屈強な梃子(テコ)乗りがねじり鉢巻きで全力をこめ、屋根に若者が三人乗り、上半身を振らして景気づける。囃子方は、山車内の狭い空間で懸命に鉦(カネ)、太鼓を叩く。
 チキチンコンコン、チンコンコン
 どの家も窓を一杯開けて、近々と迫る山車を見て、笑いさざめく。
「ええなぁ、山車は。勇ましゅうて」
「ほんま、ほんま」

 母がご祝儀を出した。
 山車は医院の前で止まり、
 コーンコーン、タッタカタ、コーンタッタカタッタ、ン、コンコン
 と、お礼の囃子に変わる。
 私は目の前にそびえる、きらびやかな山車と汗びっしょりの男達を見て、何やら得意な気分でうきうきする。

 夕闇がせまる頃、両親に連れられて私は南海線平野駅前の広場にいた。
 小さいチンチン電車の終点が平野で、緑の六角屋根の駅舎が有名だ。
 賑わいも最高で人・人・人がすき間なく集まっている。
 その真中で、二台のだんじりが向き合った。
「舞え舞え」
 山車の屋根の上に乗った双方の若者が大声をあげた。
 と、一つのコマを軸にして山車を傾け、一方向にぐるぐる回すアクロバットが同時に始まった。何トンもある山車が持ち上がり、ゆーるゆると回りだした。
「ワァー」
 と、歓声があがる。
 若者達の力への驚きと、危険との隣り合わせの興奮が渦まく。
 チキチン、コンコンが早拍子になる。
 若者のエネルギーが見物客に伝わり、皆、声をあわせて
「舞ーえ、舞え」
 と、叫ぶ。
 私も「舞ーえ、舞え」
 声をからす。

 ずーっと遠くの暗闇に、高張提灯が浮かんでいる。二メートルほどの棒の先にかかげられた大型の白い提灯で、よその組の山車がやってくる先ぶれだ。
 遠く、近く囃子が聞こえ、ジュースの出店に人が群がり、道行く浴衣姿の人々の声高な話し声、笑い声に、平野の町は光の中にゆっくりと更けていく。 
 一筋の風が吹き抜けて行った。

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 「ケムシ」 河野通明

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 昭和三十年代半ば、圭吾が小学生だった頃のこと。故郷のひらかた枚方市には戦争の傷跡がまだいくつか残っていた。家の前には物資を運ぶのに使われた線路がそのままで、山の方から長く延びたレールが錆びた肌をさらしていた。
 その頃の圭吾たちは、気のあった仲間たちと空き地や学校の運動場で野球をしたり、山の中でかくれんぼや鬼ごっこをして、毎日どろんこになって遊んだ。
 でもそんな子どもたちとは違う、奇妙な子がいた。一つ年下のその子は、長ズボンに長袖姿で上等そうな運動靴を履き、よく野原や河原を巡っていた。おまけに、その子はいつも小さな虫籠を持っていた。中には大小なにがしかの虫が入っていて、それを熱心に観察しては悦にいった。
 その子を子どもたちはケムシと呼んだ。その子の眉毛が毛虫みたいだったからか、よく毛虫を手のひらに載せてうれしそうに眺めていたからだったのかは、今となっては分からない。
「あの眉毛も毛虫みたいに見える」
「いや、歯茎こそ」
「皮のむけた毛虫みたいだ」
と言って、子どもたちは陰で笑ったり、気味悪がったりした。
 本人が特に気にしている風でもなかったので、圭吾もいつしかその子のことをケムシと呼ぶようになった。

 ある日、圭吾が学校からの帰り道に一人で歩いていると、ケムシが草むらに入って何かを探している場面に出会った。圭吾は立ち止まってしばらくようすを窺った。と、彼の視線に気づいたのか、ケムシが振り向き様大きなカマキリをかざしてニッと笑った。左手に持つ籠の中には、すでに数匹のカマキリが入っていた。
「すごいなー、そんな大きなカマキリをよく見つけたね」
 圭吾は得意げに歯茎を見せて笑う、ケムシに言った。
「僕も一緒に捕まえてもいい?」
 圭吾が頼むと、ケムシは黙ったまま一層目を細めてコクン、と頷いた。
 これが、圭吾とケムシが仲良くなったキッカケだった。その後二人でカマキリを探して、虫籠に入りきれないほどの成果をあげた。
「このカマキリ、どうするの?」
 圭吾は帽子を手で押さえ、カマキリを逃がさないようにしながら訊いた。
「庭に離すんだよ」
 ケムシはニコニコしながら言った。
「こんなにたくさん?」
「そうだよ。今から来る?」
 ケムシは圭吾の顔を覗き込むようにして訊いた。
 圭吾は、ケムシのことに少し興味がわいてきたので、一緒に行くことにした。
 そこは、彼らがよく遊ぶ広場から少し奥まった場所にあった。高い土塀の前に立つと、ケムシは木戸を開けて中に入った。圭吾もケムシの後に続いて木戸をくぐった。目の前にはいくつもの古木がそばだっていた。まるで森の中に迷い込んだようだ。圭吾は帽子を押さえると、ケムシの後を急いで追った。
「ここでいいよ。カマキリを逃がして」
 ケムシはすでに籠の中からカマキリを掴んでは、大切なもののように草の上に離していた。
 目の前には運動場ほどの広さの池があった。周囲には何種類もの草花が植わっていて、小鳥たちのさえずりが聞こえた。
「すごいなー、こんなところに大きな池があったんだ」
 圭吾は目を見開いて叫んだ。池には、赤や黒のモザイク模様の大きな鯉が、いくつもの群れをなして元気に泳いでいた。少し先に石橋があった。それは小さな島につながっていて、島には赤い鳥居が誇らしげに建っていた。
 圭吾はこんな所にこんな場所があることを、誰からも聞いたことがなかった。池の上ではとんぼが飛び交い、きれいな蝶や小さな虫たちが自由気ままに舞っていた。まるで夢の中の世界だった。
「いつもここで遊んでいるの?」
 圭吾は不思議そうに訊いた。ケムシは紫陽花の葉の上からカタツムリを一匹掌に載せると、黙ったまま微笑んだ。
 そして、自分の後についてくるようにと、圭吾に目配せした。二人はどれほど歩いただろう。気がつくと一軒家の中だった。

「お帰りなさい」
 和服姿の女性が圭吾の近くに来て、声をかけた。
「いらっしゃい」
 女性は圭吾にも優しく微笑んだ。
「着替えていらっしゃいな」
 その人がケムシに言った。ケムシは頷くと黙って奥の方に歩いて行った。
「あなたも、こちらにいらっしゃい」
 圭吾は言われるままに後に従った。やがて樹木の間からガラス戸の大きな建物が見えた。
「さあどうぞ、上がってください」
 石畳を歩いて座敷に上がると、圭吾は正座して少しの間二人を待った。
 しばらくすると、先ほどの女性がお盆に紅茶とケーキを載せてやってきた。
「あなたも入っていらっしゃいな」
 女性は部屋の外に声を掛けた。その瞬間圭吾は自分の目を疑った。スカートをはいた女の子が恥ずかしそうに現れたのだ。
「ケムシ?」
 圭吾は思わず素っ頓狂な声を出した。服装は違ったが、顔は紛れもなくケムシだった。
「驚きましたか?」
 女性は目を細めた。ケムシは恥ずかしそうに視線を彼に向けた。
「女、なの?」
 圭吾は口を開けたまま、身じろぎ出来なくなった。
 髪型や言葉遣いが男の子みたいだったので、圭吾はケムシが男だと思っていた。さらに驚いたことには、ここはケムシの家のようだった。
「紅茶をいただきましょう。その前にこれを……」
 きれいな手をしたその人は、手拭きを圭吾に渡した。彼女はケムシのお母さんだったのだ。
「家では女の子らしくする約束なの。でも外に出たら好きにしていいって言ってるのよ。それにしてもこの子がお友だちを連れて来るなんて……。これからも遊びに来てくださいね」
 お母さんは、ケムシに向かって楽しげに微笑んだ。
「この子には自分の世界があるんですよ。小さい頃から生き物が大好きで、色々な種類の虫を捕まえてはジーッと観察していたの。最初はかいこ蚕に興味を持ったようなんです。まだはね羽のできないうちに絹を作り出すのに、蝶になったら糸が果てる ことが不思議だったみたいなの。その後もさまざまな虫を籠に入れて、虫たちが成長するようすを見ているの。特に、『毛虫は興味深いね』と言って。手のひらに這わせては、蝶や蛾に変化するのを飽きずにいつまでも見ているんですよ」
「毛虫が皮を脱ぐんだよ。そのようすを調べたんだ。蝶は色んな粉を体にまとって美しく見せるし、虫はとっても賢いんだ」ケムシはうれしそうに言った。
 それから圭吾は何度もこの庭を訪れた。ケムシは虫たちの生態や特徴をよく知っていて、圭吾に分かりやすく教えてくれた。その頃の圭吾は、この広い庭の中で、ケムシと二人だけで虫を観察するのが何よりも楽しかった。

 圭吾は高校を卒業すると東京の大学に進学した。就職して家庭を持つ頃には、両親が待つ大阪への帰省は正月と盆ぐらいになっていた。
 子どもたちが中学生になった正月、地元の神社で家族と初詣に来ていたケムシに出会った。美しく成長したケムシは、輝くばかりの笑顔を圭吾に向けた。
 時代は平成になった。あの庭は大きなマンションに変わった。周辺にも当時の面影を残すものが少なくなったが、ケムシと一緒に虫たちのことを語り合った思い出は、圭吾の宝物として今も心の中に深く刻まれている。

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 「レール有 ガード無」 佐野俊美

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 ジェットコースターに乗ってしまった。
 一度発車したら止まらない。行くしかない。
降りることはできない。怖ければ声を出して叫ぶしかない。
「アー、もう死んだ」と、思うしかない。最悪おしっこを漏らすしかない。
 舌を噛む。
「痛い」
痛いと思っていても勝手に身体は振り回される。
 笑っている声。喜んでいる声。楽しんでいる声。私一人が恐怖の中にいる。
 しかし、そのうち終わる。
しばらく死んだ気持ちになる。殺された気持ちになる。
 しかし乗ったのは私、ここに座ったのは私、誰かに連れてこられたわけではない。座ったのはこの私。

 自分の居場所について何の疑問も無く、居心地良く暮らしている人。
 此処ではないと、早く脱出することを考えている人。
 真知子は後者であった。
 高度成長期、たくさんの人達に囲まれて育った。
 祖父母、お手伝いさん、叔父夫婦、いとこ二人、住み込みの従業員。
 住む棟は違っていても繋がっている。
 高度成長期、「金の卵」といわれた地方出身者の住み込み従業員がいた。
 そういう構成が当たり前だと思っていた。
 疑うことは無かった。
いつの頃だろうか、おかしな構成に気づいた。
 お友達の家のようにパパ、ママがいないことに気づいた。
 家に在るものが今時でないことに気づいた。
 全てにおいて古い。
 価値など判らない。
 ただ、華やかさにかけていた。
 本箱の本は、何だか古臭かった。読む気もしない。題名は、墨で書かれてあった。
 一度開いてみたら、昔の字で読めなかった。
勉強したら、この本が読めるのだと思った。自分が馬鹿だと、劣っていると思った。
 早く、この文字を読めるようになろうと思った。
 きっと小さい時から、自分なりに焦っていたような気がする。
 焦っても仕方ないし、どのように学べばよいのかも知らずに。
 大人ができることを早くできるようにならなくてはいけない。
 しかし、術を知らなかった。
 教えてくれる人間もいなかった。
 ただただ、焦った。
 子供なりに。
 レコードをいっぱい与えられた。
応接間にあるステレオとは違う、真知子専用のピンク色をしたマーブル模様の蓄音機を与えられた。
右手でグルグル回さなくてはいけない。
幼い子供の力では巻ききれない。
 パワー不足の為に、レコードは途中で止まる。
 どうしたら、このレコードを聴くことができるのであろうか。
 誰に助けてもらったら、良いのかはわからなかった。
 誰に甘えたらよいのかが判らなかった。
 大人たちは、忙しそうであった。
 話している時は、楽しそうであった。
 楽しそうな空間に近づくと、話が止まるか、「あっちへ行ってなさい」と言われた。
 その空間だけが、何故か暖かかった。
 特に冬は、暖かく感じた。温度ではなく、感覚が暖かかった。
 しかし、そこは自分には関係の無い場所だと感じた。
ただなんとなく、子供心にそう思った。
 日本舞踊のお稽古に行った。
 皆は優しかった。
 お師匠さん、大人のお弟子さん、皆親切だった。
 発表会の時、祖父がかなりお金を出していることが判った。
 会場の前には、祖父の大きな花輪が一対あった。
 大人の親切、優しさは何処から来るのだろう。
 昨日優しかった人が、今日は辛くあたる。
 意地悪をする。
 陰で悪口を言う。
 何故だろう。
 頑張っても、良い結果は生まれないらしい。
 何を持って評価は生まれるのであろうか。
 いとこ達は、親にお勉強を習っていた。
 鉛筆の持ち方。用紙の押さえ方。椅子の引き方。姿勢。自分の名前。あ・い・う・え・お・・・次にア・イ・ウ・エ・オ・・・靴の紐結び。
 習いながら、「偉いね」「よくできたね」
 おやつを食べながら、休憩していた。その間中褒められていた。
 真知子はこっそり見ていた。
 まるで、映画を見るように、そう、ぼろな服を着ていた女の子が、賢く綺麗になり、褒められる映画を見るように、見つからないようにこっそりみていた。
 もしかしたら、伯母や、いとこは見られていることを知りながら、時間を進めていたのかもしれない。
 祖父母や、近所の人に、ひらがなが読める。だの。縄跳びができるなど・・・伯母は自慢した。
 真知子は自分も鉛筆を持ちたかった。 
 鉛筆を誰かから貰った。嬉しかった。
 新聞広告の裏が白いところに絵を描いた。
 お家、チューリップ、お日様、女の子、ポキッと鉛筆が折れた。
 どうしたらよいのだろう。
 折れた芯を鉛筆の先の穴に差し込んだ。再び書こうとすると、音も無く再びもとの折れた鉛筆に戻った。
 仕方なく、小さな指で、折れた芯をつかみ書き続けた。
 疲れて、畳の上で大の字になって寝てしまった。
 周りの声で目が覚めた。
「真知子ちゃんは、なんでも最後までできない子ね。お絵かきも途中で放り出して寝てしまっているわ。」
「飽き性ね」
「根気の無い子ね」
「最後まで何事もできない子ね」
どこか上のほうで、皆が話している。
 寝ぼけた頭、耳の中で、真知子のことらしいことが判った。
 そうなのだ・・・私は・・・そういう子なんだ・・・悲しかった。
 何故、皆のようにできないのだろう。
 いろんな事、誰に聞いたらよいのだろう。
 考えたが、答えは出なかった。
 幼稚園でいじめられた。
 縄跳びも、ボール投げも何もできない。
 祖父はPTA会長であった。
 先生は嫌々真知子のお守りをしていたのが子供心にわかった。
 そんなこともできないのか!と言う態度をとりながら、お遊戯会では良い役をくれた。
 別に嬉しくは無かった。
 何でも良かった。そんなことより名前の文字を教えてくれる人がほしかった。
 何処で、誰に聞けばよいのだろう。
 家の本箱に並ぶ、あの墨で書いた本も読めないのだから、私は一生なんの本も読めないのだ。
と人生4歳にして真っ黒になったが、その不安な気持ちを話す相手も無かった。
 運動会、「ヨーイ・ドン」何時走るのかも判らない。
 人生お先真っ暗であった。
 幼稚園の私学進学コースに入った。
 何故か・・・PTA会長の祖父のせいだ。
 お名前も読めない。
 苦痛な時間。
 一緒のクラスの子供から笑いものになった。
 耐えるしかなかった。
 皆と同じ小学校に行きたかった。
 しかし、行けばいじめられる。
 誰も知らない、遠い学校へ行くのも悪くない。
 此処の続きでいじめられるより良い。
 子供なりに納得した。
 お洋服はデパートの外商が勝手に持ってきた。好み、趣味など関係ない。
 担当が替わると真知子の雰囲気も変わった。
 そんなことは子供にとってどうでもよい。それよりも、折れた鉛筆を削ってくれる人が必要であった。
 童謡を歌って教えてくれる人が必要であった。
 レールはある。
 怖い坂、急激なカーブ、恐怖の前の徐行、急激な発進、少し我慢しよう。
少し泣こう。やがて止まる。勝手に乗せられた。
 レールはあるが、ガードは無い。
 真知子は、ずっと自分のガードを探し続けた。

 模索しながら成人し、この人と思う人と家庭を持った。普通の家庭、夫婦がいて、子供が産まれ、手探りで家庭を築いた。
 参考にする家庭のモデルは無かった。
 我武者羅にレールの上を走った。まさに登りも在れば下りもあった。まるでジェットコースターのように先にどんな怖いことが待ち受けているのか判らず、走り続けた。
景色の綺麗なところも在った。「怖い」と、手を握る相手もあった。
 自分で自ら乗ったジェットコースター。こんなに山あり谷ありあることを知っていたら乗らなかった。
 時は流れ今では子供達は悲鳴を上げることなく、バーを勝手に握り楽しんでいる、遠心力に身を任せて楽しんでいる。真知子はと言えば、まだ怯え、歯を食い縛り、平坦な駅を待つ。止まったら、降りよう。ガードの無いものから降りよう。
 乗せられた運命のレールではないのだから、止まったら、降りよう。同じガードが無くとも二本の足で歩いてみよう。形だけのレールいらない。

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 「命の名残(なごり)」 佐野浩子

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「突然に亡くなりはった人なんやろな……」
 隣に腰掛けていた母が、私の耳元で囁いた。
 見知らぬ誰かを送る人の慟哭が胸を突く。
 火葬場横の待合室は、だだっぴろい。
 聞耳を立てるまでもなく、全ての音が響く。
 他人事でも、他人事じゃない感情の渦巻く場所なんだと、肌身で感じてしまう。
「かわいそうになあ」と、呟く母の鼻先が少し赤らんでみえた。
 時計に目をやっていた父が、あと二時間ほどあるからと、私といとこのタクヤをここに置き、コーヒーでも飲んでくると、母と親戚の人らを連れて、待合室を出ていった。
 残された私とタクヤは、それから暫く、何をするでもなく、この体育館みたいな待合室のイスに座り、ボンヤリと過していた。
 どれ位たったのだろうか。
 先ほどまで悲しみに溢れていた誰か達の姿は、いつの間にか消えていた。
 気付くと、ここは、私とタクヤだけの二人っきりの待合室となっていた。
 タクヤが、上を見上げながら口を開く。
「なんでここ、こんなに天井高いねん、なあ、ここ、なんか、いろんななんか泳いでそうやなあ……」
 そう言われれば、何かが浮遊しているようにも思えて、私は天井辺りに目を泳がせる。
「サキちゃん、恐ない?」
 タクヤはイタズラっぽい瞳で私を覗いた。
「生きてるもんの方が、よっぽど恐いて、テレビで誰か言うてたで。サキも、その意見に賛成や」
 私の言葉に「なんや……」と、タクヤは溜息をつき、それから、ついでのように私に聞いた。
「さっきな、サキちゃん、親父に何言うた?」
「さっきって、いつのさっきや?」
「フタ、閉める前や、花入れた時」
「ああ、おっちゃんの……」
「うん」
「……安らかにねむりたまえって言うといた」
 タクヤは、私の答えに疑わしそうな顔をしたが、追及する気はないらしく、
「ま…ええけどな」と、あっさり引いてくれたので、私はほっとし、わざと時計を見、時間を気にするふりをする。
 タクヤの父は、私の母の弟で、つまり私にとってはおじさんで、今日は、そのおじのお葬式でここにいる。
 おじは六年前、交通事故にあった。
 一命はとりとめたものの、以来、身動きも、まばたきさえもすることもなく、ベッドの上で毎日を生きて来ていた、ほんの一昨々日まで。
「六年丁度やったなあ」
 タクヤが指折りながら言う。
「とうとう、そのままや」
 六年間、意識不明のまま、一度も目覚める事なく、おじは逝ってしまったのだった。
 タクヤの母は、タクヤがこの世に生を受けたのと引きかえに、あの世へと旅立っていた。
 おじの家は私の家の横だったから、私とタクヤを、私の母がきょうだいのように育てた。
 幼い時、私とタクヤはいつも一緒だった。
 おじは陽気で、ふざけた人だった。
 冗談が大好きで、子供のような所のある人で、イタズラばっかりしていて、私とタクヤは四六時中、おじのイタズラのターゲットで、度が過ぎて、私達を泣かせ、よく私の母、つまり自分の姉に叱られていた。
 遊ぶ時も、子供とでも同じ目線で遊んでくれていたおじだった。
 対等な態度のおじに、子供だったのに、ずいぶん生意気な口を聞いた私だったが、反対に、子供だからなんて、大人の分別など、どこ吹く風のおじだった。
 けど、私はどの大人よりも、そんなおじが大好きだったんだと、今にして思う。
 それから、もの言わぬおじになってから、私の母がベッドの上のおじの世話を一手に引き受け、私とタクヤは、足繁くおじの枕元に集い、おじの悲劇を悲しむ変わりに、日常のたわい無い話や冗談を言い日々を過ごしていくのが、あたり前の生活になっていった。

 私はタクヤにおどけた声で言う。
「おっちゃん、六年かけてバイバイの準備したんやな」
 すると少し考えてタクヤは、
「親父、やっぱりぬけとる、心ゆくまで覚悟はさせてくれたけど、遺言、忘れよった」
「本当やな…童話やったら最後、目覚めるんやけどな」 言いながら、おじがお姫様になった姿を想像してしまい、吹きそうになる。
 係の人が小声で呼びかけて来た。
「すみません、お骨の入れるものですが、決めていただけますか?」
 私とタクヤは顔を見合わせた。
 促されてついて行くと、大きさの違う骨つぼの見本がショーケースにあった。
「サキちゃん、どーしよ?」
 不安げにタクヤが私に聞く。
 今、カフェでコーヒーを飲んでいるであろう私の父が、この葬式を取り仕切っていたのを知っていた私は、心細げなタクヤに少し腹が立ち、「あんたが喪主や。あんたがええと思うんに決めたらええんとちゃう」と言うと、「うん……ほんなら、コレにする」と、一番大きい骨つぼをタクヤは指さしたのだった。

「全部入りますんで足元からお願いします」
 一通りのお骨ひろいを皆がすむと、私とタクヤが残りのおじの骨を入れる事になり、火葬台の右側で私、左側でタクヤが骨をひろい始めた。
 せっせと骨つぼに入れていく私に、
「サキちゃん、ハイパー早いな入れんのん」
と、タクヤが声をあげる。
 お骨をひろう箸は、さい箸ほどの長さで、箸使いが上手ではないタクヤである。
 私はすでに、おじの腰骨辺りまでになっていたのだが、タクヤの方は、まだ太もも辺りの骨の前だった。
「ちょっとまっといてえなサキちゃん」
 タクヤが追いつくまで、私は手を休めた。
 おじの骨から出る熱なのか、焼いた台の熱なのか、ホカホカした熱気が、私の顔を火照らしている。
 手持ち無沙汰な私は、熱をおびたおじの骨を、そっと撫でてみた。
 あったかい、でも火傷する熱じゃない。
 今度は少し力を入れて押してみた。
「サキちゃん、何してんの?」
と、タクヤが骨をひろいながら私に言う。
「おっちゃんの骨、寝たきりやったのに、けっこうしっかりしとるで」
 係の人の目が、少し笑っているように見えた。
 骨の色が所どころ変色している。
 誰に言うでもなく私は口にした。
「色変わってるの病気やったからかなあ」
 すると、係の人が色のついた骨を見やり、「ここは、一緒に入れた花の色素が付いたんですね」と答えてくれた。
「そうなんや!!」
 私とタクヤは、感心した声を同時に発した。
 係の人の口元が、少しゆるんだように見えたが、目を伏せ、私達は目を合わせなかった。仕事柄きっと笑うのはNGなのかもしれないと、あとから思った。
 全てが納まり、骨つぼは木箱に入れられ白い布に包まれた。
 初七日も、その日の内にする事になっていて、移動する為、父とタクヤが車をまわして来た。
 私と母は、おじの遺影と骨つぼと一緒にタクヤの車に乗り込んだ。
「こんな大きい骨つぼ、都会ではあんまり見んようになったって、親戚のおっちゃん言うてたわ」と、後部座席で遺影を横に置いた母が言った。
「あんなタクちゃん、このままやったら、おとうさんの骨、墓に入らんかもやて」
 助手席で、私がかかえていた骨つぼに手をのばし、母が続けて言う。
「タクちゃんとサキのおじいさん、おばあさんやろ、それからタクちゃんのおかあさんやろ、けっこう満員やで墓、さみしのうてけっこうやけど、骨つぼのままは無理かもしれん……お上人に相談せなな」
 その時、車の振動でか、骨つぼがカタカタと音を立てた。
「おっちゃんの骨、生きがええで」と、私が軽口をたたくと母が、
「そら出来たてのホヤホヤやからな」と返す。
 タクヤが、前を向いたまま
「オトン、おるんか?」と聞いた。
「四十九日まで居るって言うやん。そやけど、見えへんしなあ…もう話も出来へんし」
 母がそう答えた。
「話は、生きとった六年前から出来へんかったけどな」と私が言うと、
「本当や、そうやったな」と母が笑った。
(おっちゃん、おるんやろか?)
「あんなタクちゃん、おっちゃんにな、タクちゃんの事は、まかしといてって、ほんまは、そう言うてん、花入れた時」
 私の告白を、母はちゃかしだした。
「そら、かえって心配で成仏せんのとちゃうか、たよりのうて」
 二十才の私。二十一才のタクヤだ。
「それがネライや。タクちゃん寂しないやろ」
 私は負けじと言い返したが、なんか、私も母も、言っている事めちゃくちゃだと思った。
 タクヤが、しゃべり出した。
「親父のかたみっちゅうの?わかったで」
「何なん、かたみって?」と問う私。
「さすが親父の姉や。姪やって言う事や」
 それから、骨つぼに片手を置きタクヤは、「ほんで、親父、ありがとう……や」と言った。
 母が鼻をすすりながら、
「聞いとるか、エイちゃん」と、骨つぼに手をのばし、二回ポンポンと、それをたたいた。
 その時、箱の中からコトリと音がした。
 私は、おじの返事だと、そう思った。

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 「陥穽(かんせい)」 莵道稚子(とどうわかこ)

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 大林みちが死んだ。これで全員があの世行き。例の話は永久封印だ。いや、気を弛めるのは早い。遺族から遺産を吐き出させねば…。
 それにしてもいい婆さんだった。みちは。信じやすく、心根まっすぐ、品のいい昔美人。
 いや、まことに都合のいい金づるだった。かくいうおれの正体は何だというのか。全国規模の新興宗教団の末端の教導師だ。
 一昔前、大病に見舞われた祖母が入信。全快を機に田地田畑家屋敷を寄進して下部教会立ち上げを許され、おれは三代目だ。
「物欲を断て」が教祖の教理の根本。人間の業苦はすべて金への執着から生れる。金を離れてみい。身も心も病や争いと無縁になるでぇ。
 教祖の教えは正しい。心底おれは思った。
 祖母のもとに多くの貧しい人がちまちまとお供えを携え集まった。その浄財を祖母も後を継いだ親父も、一文も手元に残すことなくまるごと本部に差し出した。信者のうちの一番貧しい家よりさらに苦しい暮しとなってもおれの一家はじっと堪えた。ところがだ。
 祖母が死に、親父が癌に倒れ、後継ぎのおれに上級教導師の道をつけておこうと、上納金を工面し、本部におれを連れていった時だ。
 親父が差し出した虎の子の十万円を封建時代の下級役人のような幹部が、無表情に、
「ウン百万が相場だよ」
と袋を破って脇の奉納金の箱に放り込んだ。
 教団本部は教祖の説く“清貧”の実践などそっちのけ。“金を手離せ”をいい口実にして一大集金マシンと化している。今や巨大かつ荘厳な神殿造営。宿舎ほかの施設増設。最新医療を施す大病院を建設中である。
 治療費に回すべきだった金をゴミのようにあしらわれて、親父は入院も果さず自宅で息を引き取った。ただちにおれは後を継がねばならなかった。このままでは生涯下級教導師である。親父の悲願の上級職はウン百万と引換えだ。神様も金次第というわけか。
 その頃ちょうど日本の経済が高度成長期に突入した。そのお蔭で教団は一層潤い、方針を大転換した。今まで下部に上納金の多寡を競わせていたのを、規模に応じて定額でよしとし、内部留保を許したのだ。分教会も建物の偉容で信者獲得を図れという。
 おれのとこは祖母の代から教祖直伝の清貧を旨とする人間ばかりで、神殿改築など無用である。これを奇貨としておれは蓄財に精を出すことにした。
 といっても元手は信者の運んでくる涙金だ。何とかその額を釣り上げられないか。あれこれ頭を巡らした。ある時ある考えが閃めいた。
 大方の献金額五百円に半額のお返し品をつけたらどうなるか、の思いつき。二百五十円しか神に届かない勘定だ。信者は恥じて恐縮し次回は倍額の上積みをするのでは、とおれは睨んだのだ。大当りであった。
 次の月例会の時、信者は軒並み二倍の金額を包んできた。すかさずおれはこれにも半額きっちりの返しをした。するとおもしろいことに信者は、「神様にも見栄があって、見映えのするお返しをされたいのでは…」と憶測し、自ら半返しの額を見定めその倍額を袋の中へ入れてきた。純益は一挙に十倍だ。
 自らの知恵が捻り出す増収策におれは酔う。
料理の腕が自慢のおれが次に目をつけたのが、例会のあとの食事の大盤振舞だ。潤沢な手元金で全国より特上名産品を取り寄せ、珍味仕立てにしてみた。今まで口にしたことのない馳走の数々に、信者は神様に無料でご招待いただくわけにはいかないと、別口のお供えを奮発すること必定で、果してそうなった。
 神様のお下りなら何でも有難がる信者の舌のレベルに、やがて気がついたおれは、食材の質を手加減した。もちろん自分の家は本物志向のグルメ三昧である。晩酌にはスコッチや幻の名酒を楽しんだ。
 大林みちは半返し作戦の時は、「神様が半分しか受け取って下さらない」と嘆き、常は二万円、臨時に、主人のボーナス、株の配当金を十万、二十万と埋め合わせのごとく奉納してきたし、今回の馳走饗応の際は、「ご散財でしょう」と何人分もの負担をしてくれた。
 大林みちのようにエスカレートが期待できそうな年配の女には、ちやほやを心がけ待遇の差別化を計り、抜かりなく競争を煽った。
 病気対策も怠りなしだ。信者は必ず病気をする。治りが早ければ礼金に直結するが、遅ければ神の存在を疑い出し、脱退しかねない。
 本部の大病院建設は先見の明ありだ。だが地方の田舎はどうすりゃいいか。おれはまず病気別に名医を探し出す。特に専門病院の院長抱き込みだ。院長の自宅を訪れ、奥方から好物を聞き出す。金に糸目をつけず手に入れ、院長在宅時を狙い自分が送り届ける。
 信者に患者が出たらすぐそこへ送り込む。必ず院長じきじきの診察、手術の執刀をお願いする。贈物攻勢が功を奏し、病気は最短コースで快癒するってな具合。大林みちの主人が脳梗塞で倒れた時など、おれは地方一の名医を自分の車に乗せて往診をしてもらった。
 もちろん車はベンツ。おれは二台の車を持ち、信者を運ぶ時は国産の中古車。医者などハイソの連中との付合いの時は、隠し車庫からベンツを引き出した。身なりもそれにならって二通りを使い分けた。
 大林みちの主人は大鼾の中から程なく生還。信仰心のない主人に代ってみちは内緒で工面した百万円を寄進した。
 みちは信仰の“御蔭”を大げさに吹聴してくれたので、如才なくおれはみちに将来の下級布教所新設の約束手形を発行した。その時おれの頭に絶妙な蓄財の道が閃めいた。大林みちに手形実現の一歩として“積立”を始めるよう促したのだが、これがヒントになったのだ。
 そうだ。積立制だ。といっても信者個人の名義のそれではない。教会長のおれ一人が契約し、解約自在のしろものだ。積立金の集金袋に預りの三文判を押しはするが、領収書なるものは決して発行しない。
 はてさて、信者を広範に抱き込み、一丸となって楽しくコツコツ積ませる共通の夢の対象はないものか。必死に探し、辿りついた。
 信者の老後を彩る夢の楽園建設計画だ。
同時に老朽化著しい元の教会新築計画も抱き合わせで実施することを暗黙の了解にさせてしまった。みちなどは布教所と三点セットであったが、「神様のおよろこびのためだから」と主人の遺族年金の半分以上を出した。
 おれはその時“夢の園”建設を半分以上本気でやるつもりであった。満期のあかつきには建設費を極度に押さえ、残りは吸い上げてしまえばよい。究極の錬金術だとほくそ笑んだ。
 ところが信者の老いる度合がはげしく、全員が呆け、彼らを収容し世話することなど狂気の沙汰以外の何ものでもないと気がついた。
 おれは鳴りを潜めて一人死に、二人死ぬのを待った。そして八十三才の大林みちが乳癌で余命いくばくもないと聞いた時、急ぎ積立をすべて解約した。おれはまさに自分一人の夢の園、総檜木造りの家を建て、移り住んだ。
 大林みちの家の座敷に上りこんでおれは寄進額を大奮発させる作戦を反芻していた。
 それにしても寒い。暖房を入れてくれてない。茶もまだだ。他家に嫁いだ娘が三人いるはずだがコトリとも音がしない。奥で三人が息を詰めているような不気味さを感じておれは尿意を催した。トイレを借りようと中腰になった時襖が開いた。
 みちの美形遺伝子は引き継がれず、三人とも男顔。真ん中に陣取った長女とおぼしき白目勝ちの中年女が口だけを動かす。
「母が入院していた最後の三カ月間、一度もお見舞下さいませんでしたでしょう!?」
 おれとしては迂闊であった。認知症の人間を見舞っても家人に伝えないと思ったのだ。それに病院では枕元に財布もないしな。
「母は気落ちしましてね。なぜか信仰をパタリやめてしまいましたの。『わたしは今まで見栄で宗教をやっていた』と申してました」
 ついで次女らしきが立て膝をずりずり前進してきて封筒様の袋を三つおれの目の前の畳に並べた。ハンコが所せましと押され、よく見るとみちの律儀な字で一つ一つに日付が付されている。次女はかん高い声をあげた。
「これ集金袋ですよね。三つ目これ何ですか。大林布教所建設。わが家のことですよね。このボロボロ家建て換えてもらえるんですか」
「母の家計簿見てもらえます?」三女がよれよれのノートをパンと開け、頁を扱(しご)き、掲げる。「おあげ1枚。豆のつくだに50g。涙出ます。」
 長女の白目がぐるりと回った。
「父の遺族年金の五分の四まで召し上げられて、畳も替えられない部屋で通夜を…」
 長女が顔を覆う。泣き崩れると思ったが、次の瞬間、キッと顔を上げ般若の相となった。
「年を取ったら、神様の御殿で遊べるのだと言って、母はそれは楽しみにしていました。
 三種類の集金袋全部足すと優に二千万円は超すんですけど…」
 おれはどうやって家の外へ出たか覚えていない。ただ駐車場を出る時、陥没した穴に後輪を嵌めてしまって難儀した。
「先生、お気をつけになって下さいよ」
みちは元気だった頃いつも見張ってくれたっけ。
 一ケ月後、おれは郵便受けの前で立ち尽していた。裁判所からの呼出状であった。
「積立金返還請求訴訟の被告として…」
大林みちの三人の娘を筆頭に、老いて死んでいった者達の遺族がずらり名を連ねていた。
 空にスイッチが入ったように寒夕焼が始まった。おれの教会はその昔祖母が寄進した鬱蒼と木々が茂る敷地に、今やおれが拡張を重ね、宏荘な御殿となって聳えている。
 寒夕焼はいよいよ極まりそのすべてをシルエットに変え、やがて漆黒にとっぷり暮れた闇の中に全貌を埋没させてしまった。
 おれは自分自身がいつの間にか穿った深い穴の底に転落し、そこから這い上れない想念に総毛立ち、血の気が失せていくのを感じた。

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 「威風堂々〜高島屋探検記」 寺田伸一

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「お前がそんなんなってしもたんは、全部、お前の責任(せい)やからな。私は頭も身体も優秀に産んだったんやで。」
 母の呟きにボクを責める口調はない。夕食を済ませて一本の瓶ビールを二人で飲んでいる。春の宵、キッチンでのこと。
「分かててて、解ってるるがな。おぶるろ(お袋)には感謝してる。せややけどマナ、あっと・・・・・・」
「『マナ』って何やのん? 」
「えぞ、ぞそんなこと言うた? オデ(俺)の話ひ言葉なんか、真剣に聞ひららあかんやん」
 真奈美のことは母には秘密である。ボクが三〇才を少し越えた頃から憧れ続けた女性。出逢った頃は人妻で、ガソリンスタンドの社長と駈落ちしたりして……。大阪は福島のホテルで一度だけ結ばれた。そう言えば、あれも春だった。あれは明らかに真奈美の方から誘ったんだ。それなのに、
「あなたも私の身体が目当てだったんだ。凄く信頼してただけにガッカリ」
 抗弁しようとしたボクの舌は回らずに、真奈美を振り向くこともできずに逃げかえった。その日の夕刻、ホテルのバーで、自ら「うつ病」との診断を受けたことを告白し「死のうか」と真奈美の唇が動いた時、死ぬほどの思いを経験したことのないボクは、
「俺の夢は死なずに生きることなんだ」とまるで哲人気取りで言い放った。あの夜のエロスは"Good-bye"のあいさつだったんだ、と今では思える。真奈美を誤解したボクは吃音症になり、勤めていた会社も辞めてしまった。
 という「嘘ではない説明」は本当でないかもしれない。あの時期、ボクは"尋常な滑舌"を知らぬ間に失い、その失いゆく過程の中で徐々に絶望したりもして・・・・・・。自分のことを喋るのが苦手になってしまったんだ。

「お前、明日、奥田コーチへのお礼、買いに行くんやろ? 付いて行ったろか」
「うううぶん、し一人びでえく。しぇやないどと意味だいやん」
「高島屋の人が気の毒やん」七〇代半ばの割には達者であろう、母の喉がビールで膨らむ。

 奥田京子コーチは世界卓球選手権で日本代表の主戦格として活躍したトップアスリートなんだ。この八月に東京に住んでいる恋人と結婚してあちらに住むことにしたとか。ボクとの個人レッスンも来週がラストである。
 南海線の岸里玉出駅から見える桜並木は七分咲きといったところ。
(奥田コーチは只の卓球コーチじゃないな。真奈美とのあれやこれやで話し言葉を失ってフラストレーションの塊みたいになってた俺に言葉みたいなボールのやり取りを通して風穴を開けてくれた)
 真奈美を失ったボクの心というか「男」の部分は「女」としての"京子"を求めてもいるのだが・・・・・・。「長生きしたい」ボクは、その心に鍵をかける。

(ヤバ過ぎる)
 南海電車の難波駅から直結している高島屋の二階に足を踏み入れた途端、ボクは言葉の通じない異空間(今は日本のど真ん中でも通じないけれど)に一人で迷い込んだ十歳位の子供になる。違うのはここが汗を浮かべた人だらけで身の置き場もないことだ。単身、高島屋に乗り込む自分に酔った挙句、今日が土曜日であることを省みなかったのだ。一人とどまるボクを恋人たちや家族連れは迷惑そうに除けて通る。皆が汗を浮かべている中で、ボクの汗だけが、冷たい。
(あれ? 俺、何を買いに来たんやっけ)
 朦朧として失念したのではない。今日が土曜日であることと同様、「何をプレゼントするのか? 」を考えすらしなかったのだ。
(出直そうか? )の思いが一瞬、よぎる。でも、そんなことができる筈もない。母親の前では虚勢を張っていたものの、今日のプランを立てた時から不安は募り、昨夜はほとんど一睡もできなかった。朝早くにも普段は忘れている仏間に入り、だいぶ前に死んでしまった親父に加勢を願いもしたのだ。こんな日をもう一日過ごせば――ボクは死んでしまう。
(帰えらんと、居った所で死んでまいそうや)
 昼時だったので、七階のファミリーレストランに入る。
「何にいたしましょうか? 」ビーフサンドとアイスコーヒーにしよう。
「ビッ、ビー、えっと」
「ビールは生ですか? 」
(ビールと違う)
「ビ、ビ・・・・・・」
「ビンですね。しばらくお待ちください」
 何とかモノを考えられる自分を取り戻そうと、入った店なのにボクの心は立ちすくむ(身体は座席に腰掛けているのだが)。絶望して喉に迎えたビールは不思議と旨かったんだ。
(あっ、メニューを指差してオーダーしたらよかったんや)
 コペルニクス的転回を果たしたボクは、漸くビーフサンドを注文できた。
 ここから立て直そう。運動選手だけれど、奥田コーチはお洒落な人だ。斜め前に腰掛ける髪が長くて口元のほくろの色っぽい女性(ひと)のしているようなネックレスはどうだろう?
(あかんわ。コーチは俺とちゃう男と結婚するんやんけ。俺からアクセサリー貰(もろ)てどうすんねん)
 ボクは綺麗なコーチを探そうと、「思い出」の中の画廊を巡る。大抵はトレーニングウエアを着てラケットを持っているけれど、その一枚は薄化粧をしてハイヒールを履いている。ボクが卓球を始めたのは、話し言葉を失って、塞ぎ込んでからなんだ。ボクを外へ連れ出そうとしたコーチは「一緒にコンサートに行こう」と誘ってくれたんだ。あの時は何とかビッチだったかハッチだったかいう西洋のピアニストのショパンだったけど、「ピンポン玉の響く音の次にクラシック音楽が好きなの」なんて言ってたっけ。
 最初に浮かんだ案はクラシックのCDだったのだが・・・・・・。
(何か、高校生みたいでカッコ悪ウ)なんて"心"が横槍を入れたから、テーブルの上のジョッキを音を立てて飲み干した。
 ビールはCDにかけずとも喉で鳴る。「オルゴール」という言葉が感嘆符付きで浮かんだ。曲は・・・・・・? コーチはチャイコフスキーが好きだとか言ってたけれど。ビールで温かさを取り戻した脳裏にバッハから始めてドヴォルザーク辺りまでメロディーを流してみる。三巡目でボクの脳裏が"威風堂々"を引き当てた時、不覚にもボクは目頭を熱くした。
(向こうには「恋人」であろうとも"「ボクにとっては」見も知らぬ男"に略奪されていく)姫へ"最後のプレゼント"を贈ろうと、単身、鬼ヶ島のような孤島(=高島屋)に乗り込んだのである。脳裏に "威風堂々"を奏でながらオルゴールの置いていそうなフロアを探す。

 文具売り場の隣にオルゴールの置いてありそうな棚があった。けれど、そのエリアは小さく、ボクの背丈では手が届かない高さである。どうやらデパートの人たちからあんまり大切に扱われていないらしいオルゴールにシンパシィを抱きかけるが、そんな場合じゃない! 通りかかった店員は「仲嶋」という名札を付けていて、面影がどこか奥田コーチに似ている。口中でリハーサルを繰り返したボクは、「仲嶋」さんの方へ歩み寄る。
「オ、オフゴ、ゴホル、オル? 」ここ数年来のボクの発語としては、《日本語に近い》。上出来である。ところが、奥田さんのイメージを宿したはずの「仲嶋」さんは「すみません」とだけ言って、ボクの視界から消えた。ボクの顔の目の辺りから上の空気層の温度が数度、上昇し、その分の思考力を奪う。「緊張」と「ビール」が化学反応を起こしてボクを「世間」からより遠ざける。
「お客様、お待たせいたしました。何をお探しでしょうか? 」
 厳つい顔をした男性店員が現れる。
「オロル、オロルゴルフれ"えふ、ろおろお"あひまるは?」

 ズシン! 自分の膝がフロアをたたく音を聞いたような気がするが、倒れた痛みは記憶にない。

 どうやらボクは、倒れてしまったらしい。デパート内の医務室で目覚めたボクに寄り添っていてくれたのは、意外にも「仲嶋」さんだった。
「あっ、お目覚めですか? 先程は申し訳ございませんでした。私、まだ職場に慣れていないもので・・・・・・。それで、お客様が倒れられた時にお相手を務めておりました店員が申すにはお客様がお捜しなのは『威風堂々』のオルゴールなんじゃないか? とのことだったのですが・・・・・・」
「は、はひ。そぞふれず」
「よかった。ここにとってあります」
 どうやら倒れることで"『威風堂々』を巡る堂々巡り"から抜け出せたらしい。

 帰りの南海電車の車窓からは夕焼け空をバックに桜の咲いているのが見える。今が「春」でよかった。「秋」は先細りの「人生」に堪(こた)えそうだから。「秋」というか「人生」を気にすることはボクの身体を弱らせる。

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 「雨あがり」 橋本都紀子

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 夜明け前から本降りとなった雨の音で、何度も目が覚めた。年と共に朝起きる時間が早まり、佐知子は今朝も五時過ぎに起きた。隣に寝ている夫に気づかれないようそっと一階に下り、簡単に身支度を整え外に出た。
 雨はすでに小降りとなり、霧のかかった新緑が目の前にひろがり、神秘的な美しさで迫ってくる。佐知子はこの最初の瞬間がこの上なく好きで、早朝散歩を始めて十念余りほとんど休んだことがない。
 定年を迎えた夫の雄一郎との二人暮らしの毎日は、それぞれの時間を自由に使うことですべてがうまくいっている。今日も佐知子は手際よく家事を片づけ、午前中は自分の部屋で書きかけの小説を書く。今年こそは入賞を目指している。
 ふと気がつくと十二時前であった。今日は思いのほか筆が進み、十数枚の原稿が一気に書けてしまった。
 昼食の用意をしようと台所に降りていくと、テーブルの上に雄一郎のメモがきがあった。
"雨上がりの緑が美しいので、カメラと共に出かけます。昼食は不要です。夕方には帰ります"
 まるで気がつかなかった。少し気が抜けたが、ちょっとホッとして一人お茶を入れた。京都の友人が送ってくれた宇治の新茶が、今日は格別おいしい。
 狭い庭一杯に、雄一郎が丹精込めて作ったバラが咲き誇り、部屋の中まで匂ってくる。佐知子は久し振りにショパンのCDをかけた。
 もうあれから何年になるだろう……。

 あの時も佐知子は短い置手紙を残して出かけた。もとの平穏な心に帰るのに、随分と時間がかかってしまったと、改めて思った。
 夫の雄一郎は若い時から音楽が趣味であった。特にクラシックにおいては、すばらしい聞き耳を持っていた。特に好きなオペラが来日した時などは、必ずと言っていいほど、聴きに行っていた。佐知子も二、三回は一緒に行ってみたが、心底好きにはなれず、断ることが多くなっていた。
 佐知子はむしろ、ハイキングに行ったり、日本画やエッセーをかいたりするのが好きであった。雄一郎は大企業のサラリーマンで、若くして重役の職にあり、日々多忙な毎日を過ごしていた。
 佐知子とは見合い結婚で、三十数年平穏な日々が続いていた。若い頃は三年ごとに転勤があり、なにかと苦労もあったが、それなりに社宅生活に溶け込み、楽しい経験となった。
 真面目で働き者の雄一郎は、ほとんど家にいることも少なく、二人の子供達とのすれ違いも多く、母子家庭のようであった。今は子供達もそれぞれ独立して家庭を持っている。娘は東京に、息子はヴェトナムのホーチミンに技術者として派遣され、夫婦で赴任している。
 ある日の夕食の時、六十歳になった雄一郎が言った。
「僕も聴くばかりでなく、もう一度自分でも歌ってみたいと思ってね」
「へーすごいわね。どこかでならうの?」
「丁度いい所があってね、週一回、三十分だけの個人指導なのだけどね……」
「そう、まあ行ってみたら」
 と、言う訳で雄一郎の歌のレッスン通いが始まったのであった。
 たった三十分といえども、毎週五時三十分からの練習は大変なことであった。夜の接待があるときなどは、車を待たせておいて又、仕事に戻ったりしていた。
 そんな熱心な練習のかいもあって、半年後にはその会員だけの発表会に出場出来るほどになっていた。小さなホールでの発表会であったが、雄一郎はそれなりに衣装にも気を使っていた。曲にふさわしいシャツを買いたいと言うので、その買い物に佐知子も付き合わされた。
 そして発表会当日、雄一郎は少々緊張しながらも、「オーソレミヨ」と「マンマ」を無事歌い終えたのであった。客席で聞いていた佐知子もドキドキしたが、思った以上に上手な出来栄えであった。
 こうして改めて舞台の上での夫を見ると、何か少し、自分とかけ離れたものをその時、ふと感じたのであった。まだまだツヤもあり、一緒に選んだブルー系のシャツがにあって、いつもより若々しく見えた。
 第一部だけを見終わって、佐知子は帰ろうと席を立ち、舞台のほうを振りかえった。雄一郎が髪の長い、黒いドレスの女性とにこやかに談笑しているのが目に入った。佐知子は一瞬ドキッとした。ああ、あの方が歌の先生なのだと、そっと見つめた。
 帰りの電車の中で何故か佐知子は持ってきた本に集中できなかった。本を閉じて、窓の外に目を向けた。先ほど見た雄一郎の顔が浮かんできた。佐知子には見せない顔であった。
 それから数週間たったある夜、雄一郎が少し酔って帰ってきた。
「どう?これ」
 リボンのついた包みからネクタイを取り出した。紺地にピンクの水玉模様であった。
「同じようなのあるわね。誰にいただいたの?」と、佐知子はきいた。
「歌の先生からのおかえし……」雄一郎は上機嫌で答えた。
「何のお返し?」佐知子は聞き返した。
「この前の発表会のお礼をしたら、こんなお返し……」
「……」
 あの髪の長い、黒いドレスの女性が脳裏に浮かんできた。佐知子の知らないことが、どんどん増えていくような気がした。

 東京出張の多かった雄一郎は、時折り大阪では聴けないコンサートなどにもうまく都合をつけて行っているようであった。先日も半年前から申し込んでいたイタリア歌劇のチケットが手に入り、東京のオペラハウスへ東京の友人と行くことにしていた。
 木曜日から仕事を兼ねて、土曜日の夜帰る予定で出かけて行った。最終の飛行機で帰ると聞いていたが、いつまで待っても帰ってこなかった。そして夜の十時過ぎ電話が入った。
「話が盛り上がってねー。今日はもうホテルにとまることにするからー」
 簡単な言葉で電話は切れた。佐知子は一人放り出されたような孤独を感じ、なかなか寝つけなかった。
 その日を境に、雄一郎の音楽への執着は、ますます増していった。日曜日なども、音楽の先生のコンサートや色々な音楽会に行ったりで、ほとんど家にいなかった。服装にも気を使っているようだったが、佐知子は平静を装っていた。
 そしてある日、
"急に旅に行きたくなりました。
 東北の山を三、四日歩いてきます"
 簡単な置手紙を残して、佐知子は何度も行っている東北の白神山地に出発したのであった。丁度六月初めで、新緑が美しい頃であった。
 白神山地は世界遺産に登録されたブナの森である。その巨木の若葉はみずみずしい息吹にあふれ、時折見える青空は、宝石のようにきらめいていた。
 佐知子は雄一郎との三十年の過ぎし日々を静かに思い出していた。ふいに涙があふれた。山のガイドさんに涙を見られないよう帽子を深くかぶり直した。
 早朝の山は行きかう人も疎らで、いろいろな野鳥の声が聞こえてくる。突然目の前に、真っ白な大木が現れた。それは数十メートルも上からブナの大木に巻きついて、数百個の花をさかせているツルアジサイであった。
 何度見ても佐知子はこのツルアジサイには圧倒されるのであった。本当に真っ白な筒のように上から下まで花をつけている。神々しい光が放たれているようで、身も心も洗われる思いであった。
「ああ、来てよかった…」
 佐知子は歩みを止め、しばらくその花に見入っていた。
 三日間、ゆっくりブナの森を堪能し、改めてブナの大木の静かな、何者をも寄せ付けない偉大な営みに感動したのであった。
 すっきりした気分で自宅に帰り、何事もなかったように日常に戻った。雄一郎もあえて何もきいてこなかった。

 平穏な日が暫く続いたある日、会社から電話があった。
「ご主人が倒れられ、k病院へ救急車で運ばれました。すぐ来てください」
 びっくりして佐知子は駆け付けた。急に血圧が二百まで上がったようで、幸い大事には至らなかったが、検査のため一週間程入院することになった。
 退院後も音楽熱は相変わらずであったが、さすがに日曜日は家で過ごすようにしていた。歌のほうも思うように上達せず、少々スランプに陥っているようであった。
 やがて雄一郎は六十八歳で現役を引退した。時折ゴルフに行ったりCDを聴いたりしているが、音楽熱は徐々に冷めているようだ。もっぱらの趣味はバラ作りとカメラである。
 さわやかな風が部屋を吹き抜けた。
「あっ、もうこんな時間」
 佐知子はいつの間にか終わっていたCDを片づけ、買い物に出かけた。
 さわさわと新緑が風に揺れている。霧にけむる朝もいいが、ゆっくりとした午後の散歩もいいものだ。間もなく夫は帰るだろう。夕食は雄一郎の好物の刺身と旬の野菜の天ぷらにしようと心づもりをした。

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 「心の宝石」 林宏子

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 「痛い!」公子は不覚にも足を滑らし、転んだ拍子に足を、ぐねったらしい。朝早い道路には人も通っていないので、恥ずかしさもなく、公子は大きな声を出していた。すぐには起き上がれず、年寄の様にヨッコラショと、立とうとしたが、ぐねった足が痛くて、四つん這いになっていた。そこへバイクが横付けにされて、「大丈夫ですか?」と一人の男の足が目に入って来た。公子は急に恥ずかしさが、体中を駆け巡り、無様な格好を見られていたのだと後悔した。
「枯葉が昨日の雨で、滑りやすくなっていたみたいでと」取り繕ってみたが後の祭り。悟空(ごくう)も心配げに公子の足を、クンクンと舐めに来た。「可愛い犬ですね」「何て名前ですか?」とその男は、犬が好きらしい。私の恥ずかしさを、はぐらかしている様であった。「悟空って言うのです。5月9日に生まれたんです」
「洒落た名前ですね」立てない公子を見かねて「家まで送りましょうか?」と言ってくれた。
「すみません。まだ病院も開いていないでしょうし、犬もいる事ですから、お願いしようかしら?お時間大丈夫ですか?」
「ああ、いいですよ。今日は休みの日で、朝からこいつを飛ばしていたのですよ」と脇に停めた赤い愛車のバイクに、いかにも愛おしそうに目をやった。公子は、手を借りながらスピッツの悟空をだき抱えて、バイクの後ろに跨った。不安定な姿勢で、ゆるゆると、15分程かかって家の前に着いたが、一人で歩けないのでその男に助けて貰いながら、家に入らざるを得なかった。
知らない男を、女一人住まいの家に入れる事を躊躇した。しかし精悍な顔つきや、爽やかな物腰、35歳の公子から見れば10歳位年上に見えるが、好感のもてる彼に「まあ良いか」と云う気になってしまった。お礼を言って自己紹介をしあった。もし困った事があればいつでも電話を下さいと言い残し、赤いバイクの音は、遠ざかって行った。男の名前は赤山太一。
 家でパソコン相手に、イタリア語の翻訳の仕事をしている公子は男性に会う機会も少なく、いつも空想の世界で遊んでいた。数日後ようやく足のシップも取れた公子は、縁側のロッキングチャェアーに揺られながら赤山太一の事を思い浮かべていた。ウィークデーが休みという事は何の仕事だろうか。浅黒い顔から想像すると見ると、スポーツ関係なのかしらそれとも俳優? タレント? 公子はあれ以来、結構空想の世界で彼の事を楽しんでいた。バイクの後ろでつかまった時の感触は、服の上からも筋肉質な事がわかったし、ペダルを踏む足にも、十分な余裕があり足の長さが読み取れた。それに引き換え私は、朝の早い犬の散歩と油断していたため、化粧もせず、靴も踵のすり減ったいつ捨てても惜しくもないような代物であった。まるで年配のおばさんが、転んだ様な無様さを、思い返すだけでも顔が熱くなって来た。「あんな所で、あんたが、走り出したから、滑ったんでしょう!」と膝の上にいた悟空の頭をたたいた。悟空はキャンと云って部屋の隅に跳んで行った。
 足も少し回復した頃、お礼を兼ねて食事に誘った。その後も何度かの小さなデイトを重ねた。東京では、有名な千鳥が淵の桜を見に行った事があった。混雑するカフェで「咲いている桜もいいが散って行く桜も風情があって、改めて日本の国の素晴らしさを再認識するね」と、太一はいつまでも席を立とうとしなかった。花を愛でる優しさを垣間見た思いで、公子も彼と同じ空間で、同じ花を見て美しいと感じている今の気持ちが、とても通じ合った様で幸せなひと時だった。お薄とお饅頭が運ばれて来て、桜を愛でながらの一服は至福の時であった。だがお互いあまり深入りをせず距離を保ちながらのお付き合いが続いた。カフェ等で太一はいつも壁を背にして座る癖がある。不思議で訊ねると「いつも君を、守ってあげたいから」と冗談めかして言う。タクシー等に乗る時もドアーで頭を打たない様に、実にスマートにあたりそうな所を手でかばい、公子を車内に誘導してくれる。まるでお姫様扱いなのでうっとりしてしまう。話の端々に、小林寺拳法の段持ちでもあり空手も段を持っている事がわかって来た。ハワイに住んでいた事もあると云うのだから、きっと英語も得意なのだろうと想像の世界は広がる。ハワイに自分の秘密の砂浜があると言うのだ。「プライベートビーチ?」と、訊ねるとそうではなく、彼が知っている秘密のビーチで、その砂浜は小さいガラスがいっぱい捨ててあって、そのガラスが夕日を受けて色んな色に見事に輝くのだと言う。一度見てみたいものだが「でもガラスで足を怪我しないの?」と聞くとそのガラスは、小指の爪の四分の一位の大きさで、もう角が全部取れて丸くなっているそうだ。
「いつかそのガラスを瓶に入れて取って来てあげるよ」と約束をした。
 小学生の息子が二人いる事もわかった。でも奥さんはいない様だと云うのは、居酒屋で美味しい料理が出されると、子供に食べさすのだと言って、その作り方を教えて貰っている時があるからだ。ある日偶然にも太一の友人と居酒屋で出くわした。お酒の入っている友人は、公子に「こいつは、いい奴なんですよ。でも可哀そうに奥さんに逃げられてね」とさっぱりと云う。「ええ?そんな冗談を」とはぐらかすと「いや、逃げられたんですよ」と苦笑いしながら太一は「逃げられ仲間なんですよ」と友人を顎でしゃくった。友人によると太一は要人を護衛する、かなり優秀なSPと云う職業である事がわかった。「世界のニュースで日本人が、誘拐された時等は、いつも彼は日本にはいないですよ。又国賓で外国から王様とか、大統領とかが来られる時は、えらく忙しくしていますよ」と友人は云う。
「ああそうか、だから人を守る事が板に付いているのだわ」公子の謎がやっと解けた。太一は「おい。勝、べらべらしゃべるなよ」公子はぷっと吹き出してしまった。しまったと思ったが、あとの祭りだった。
「どうしたの?」と太一に訊ねられて、「勝って、お名前なの? イタリアでは、あまり大きな声で言えない名前だから」と遠慮がちに公子はいった。「どうして?」太一は不思議そうに公子を見つめた。
「イタリアではね、勝って発音はウンチの事なの。勝男は男性性器なのよ」
 すると太一は、店中に響き渡る程の大きな声で「彼は勝男だよ!」と笑いが止まらない。友人の勝男も、公子もつられて笑ってしまった。勝男さんのいたお陰で何やらいっぺんに二人の距離が、近づいた様に思えた。笑いって大きな力を持っているものだなあと公子は思った。飲んだ勢いで色々勝男さんから聞くと、常識では考えられない様な事が分かり出してきた。それによると、太一は命がけの仕事をいつもしているのだが、そんな留守中に妻が男と一緒に姿をくらましたらしい。男の沽券もあったものじゃない。ましてや小学性の男児を二人も置いて行くとは、一体どんな家庭だったのかとも思うが、まさに逃げられたと言う、その状況で太一の心は怒りと屈辱感と、どうしようと言う途方に暮れる思いで、張り裂けんばかりだったと想像する。心に負った傷はさぞ深く刻まれているのだろうと気の毒に思った。「あの時は世の中の女性を全部恨んだね。でもそれは誰もが幸せになれないし、一番自分が可哀想だと思い出したんだよ」少し酔いが回って来た太一は、口が滑らかになって来た。そして子供が可愛いくて、しょうがないと言う。息子達に対する父性愛は、女性には真似の出来ないものがある。留守がちな太一は、子供たちに緊急の時の対処のしかたを教えている。例えば、家の鍵は玄関の下駄箱の上に置くと言う決め事。台所から又はベッドルームからは、何歩でその下駄箱に到達するか、歩数で覚えさせていると言うのだ。5階に住む彼等は、何段階段を数えれば、1階に着くかとか。事件が起きると必ず電気が切れる。そうなると、誰もがパニックになるものだ。電灯に頼らず外に出られる事。想像だにしない、思い付きもしない教育だ。雨でジーンズが濡れたりしたら、早く脱いで、乾かす事を教えているらしい。いつまでも濡れた物を着ていて風邪でも引くと、親も本人も困るから、事前に用心をする事を教えていると言うのだ。もうそうなると、勝男も公子も耳を傾け聞き惚れるだけだった。
 一方公子はと言うと、幼い時から父は家に寄り付かなく、母はいつも外の女の事を恨み嘆き、そんな姿を見て育った。何時の間にか、男は信用の出来ない怖いものだと言うトラウマが、植え付けられてしまった様に思う。そんな太一と公子は、ハリネズミの様に近づき過ぎず、いつも一定の距離を保って付き合っている。それが公子の安心に繋がっている。近づきすぎて火傷(やけど)をしない様にと、いつも何処かでブレーキが、かかっている。ひょっとすれば、公子だけでなく、太一も同じ心境なのかも知れないなあと思った。 
 太一を頼もしい友人の一人として持てる事を、公子は誇らしく思い、それで充分だと自分に言い聞かせ「こんなプラトニックラヴがあっても良いではないか」と、心の宝石をそっと秘密の宝石箱に、仕舞い込むのであった。 

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