受講生の作品
受講生の作品
小学6年になって1か月。クラスメイトと登校していると、水色のランドセルを背負った女の子が駆け寄ってきた。私の手を握る。
「お姉ちゃん、いっしょに学校行こう」
みつあみをして、くりくりした目。クラスメイトが「かわいい」と言い、私も感じた。
名前はりんかと言った。りんかちゃんは1年生だった。りんかちゃんと接点があるように思えなかったけれど、手を握って一緒に登校した。
登校してから、クラスメイトに言われた。
「なんでりんかちゃんと話してあげないの。りんかちゃん、かわいそうじゃん」
私は極度の人見知りだった。場面緘黙(かんもく)だったと今では思う。家で話せても、外に出ると「はい」か「いいえ」で答えるような、最低限の会話しかできなかった。自分から名前や学年を聞くことなんて不可能で、りんかちゃんの名前も、1年と言うこともクラスメイトが話して聞いたことだ。もちろん、かわいそうだと思った。それでもクラスメイトに、「ごめん」しか言えない。
「だめだよね。りんかちゃんがほんとかわいそう」
と呆れていた。
6年は1年の給食当番を手伝うことをしていた。担当の1年2組へ向かう。6年は1年に声をかけながら、配膳を手伝っていく。いつも牛乳や箸を配っていた。おかずやごはん係のように、
「ちょっと多すぎるかな」
などと、話すことが少ないからだ。
箸を机におくと、
「お姉ちゃん、いつもありがとう!」
と言う声がした。りんかちゃんだった。びっくりした。りんかちゃんとの接点はないと思っていた。手を握ってくれるりんかちゃんがかわいくてたまらない。それでも話すことが出来なかった。
りんかちゃんにかわいそうなことをしている。クラスメイトの呆れた顔を思い出す。思ったことを口にできない。だから嫌われても仕方がない。りんかちゃんも、すぐに関わらなくなるだろうと思っていた。
でも、りんかちゃんは登校中や学校で会うと手を握ってくれた。りんかちゃんは知らない人にまで声をかけるくらい社交的だった。みんながりんかちゃんを知っていて、りんかちゃんの周りはいつも明るかった。
クラスメイトはまた叱責した。
「りんかちゃんに、なんで話してあげないの。しゃべらない人の手とか握ってかわいそう」
私も不思議だった。どうしてりんかちゃんは私の手を握るのだろう。クラスメイトのほうが、りんかちゃんとたくさん話しているのに。話せたらその不思議について、すんなり聞くことが出来るのだろうか。黙っているとクラスメイトは、また呆れる。
それからは、りんかちゃんのいる前でも「ちゃんと話しなよ」と言われるようになった。話せない。話そうとすると首を絞められたみたいに息が苦しくなる。りんかちゃんは、握っている手をもっと強く握ってくれた。
卒業前、「卒業生を送る会」が開かれた。私たち卒業生が1列に横に並ぶ。在校生が卒業生のところへ向かい、じゃんけんをして、サインを交換するゲームがあった。
ゲームがスタートし周りの生徒のところは長蛇の列ができる。人垣から抜けてきたのは、りんかちゃんだった。真っ先に決めていたように走ってくる。手を握って、じゃんけんをして、サインを交換する。りんかちゃんに最大の笑顔を見せた。話せなくても、にこにこすること。これが6年間でできるようになったことだった。
中学生になった。一年の二学期、声を出して笑うと、友人が受け入れてくれた。あのとき叱責したクラスメイトではない。それをきっかけに、少しずつ話すことが出来るようになった。思ったことを話し、文章を書くことで、言葉で表現することが好きになった。
小学校と中学校は道路を挟んで、目と鼻の先だった。小学校側の信号で待っていると、横断歩道の向かいに水色のランドセルが揺れているのが分かった。信号が青に変わる。りんかちゃんが、同じ背丈の子たちと「よーいどん」といい、笑いながらこちらへ走ってくる。
「おねえちゃーん!ばいばーい!」
りんかちゃんが手を振る。
「どうして私に声をかけるのか」
すんなり話せたら聞いてみたかったこと。話せるようになったら、そんなこと聞かなくていいと思った。りんかちゃんへ、感謝の気持ちを伝えたかった。
「りんかちゃーん、ありがとう!」
大きい声が出た。すれ違う。りんかちゃんは手を広げる。私も。
ハイタッチをした。